洋楽クラシックロック雑記帳

懐古趣味の70年代、大体リアルタイムの80年代を中心に思いつくまま。ほぼ備忘録

Ratt あれこれ (1)

ラットは中学時代に好きだったバンドのひとつ。
その時代の思い出をあれこれ雑多に詰め合わせてみようかと。


1984年秋。

TVで見たミュージックビデオ(以下MV)を記録していたノートに “ラット「ラウンド アンド ラウンド」” と書いたことははっきり覚えているが肝心の映像及び曲は全く覚えていない。
それがラットに関する最古の記憶である。

その少し後、雑誌のカラーグラビアで彼らの姿を感覚的に初見。
独特のビジュアルからは猥雑さしか感じられず、なんか嫌というか……。

このバンドを好きになることは絶対ないな。いや、ならない!とわざわざ決意なんぞした次第。
ところが次にまた雑誌でグラビアを見たとき、その決意は早々に翻る。

それが1985年。

私の理解が追いつかない猥雑さはややマイルドになっていて、おまけにブロンドヘアにイメージチェンジしたドラムのボビー・ブロッツァーがいいかんじになってる。
それでいっぺんにラットが好きになった(わかりやすいヤツだな〜)。

以下、ラットについてちょっと書いていた昔の文章。



1985年5月5日(日)

☆ ラットで1ばんファンの人 … ボビー・ブロッツァー

☆ラットのおんがく … ラット&ロール!

☆ラットのメンバーはステージではすごいカッコーしてるけども、オフステージのときはみんなフツーのおにいちゃん!



──あと、各メンバーの星座予想なども書いていたが見事に全員ハズしていた(はずかしい子)。


で、曲の方はというと上記の過去文章から少し遡った時期ぐらいに「Wanted Man」(1984年)をラジオからエアチェックした記憶。
この曲が私にとって実質的な1曲目である。

詳細はあまり覚えていないが頑張って周辺の断片から思い出してみると私は当初スティーヴン・パーシー(vo)の声と歌い方が苦手で、濁声の歌いっ放すスタイルが粗野に感じて怖かった。

とはいえこの曲はどっしりとしたミドルテンポがじわじわ来る系でカッコよく、ボーカルに関してのそこはグッと耐えながらのリスニング(なんだそれ)だったような。
ま、それもラットを好きになることによって気にならなくなったのだが。




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ということでまずは昔書いたこのMVのことを少し。
1986年5月25日(日)にMTVで見たプログラム「HM(ヘヴィメタル)マニア」の感想の中にチラッと入っているだけのものを抜粋。



1986年6月1日(日)

(この直前の文ではモトリークルーのMVのことで喜んでいる)
それとですね!な、な、なんと…これまたすごいのが出たのだ!!
それはラット!!しかも「ウォンテッド マン」で!!

さいごにロビン、ねてたのにおきて、ワッ!っていうかんじなのだ。
それにライヴ パフォーマンスがめちゃカッコイイ!!
1年半くらいまえのやけど、まえのやつの方がなんかエエなー。
ロビンはなんかを吐くのであった。
それとウォーレンのかみがなんでかしらんけどまっくろだったし、ボビーもまだかみの毛、ちゃいろだった。
ロビンのかおは化しょうっけなし!スティーヴンもですよ。
そしてフォアンのこわいかお!ほんとにおそろしかった。
明るい画面でよかったよ!とにかく大好きなビデオなのだ!



──なにやら興奮気味の感想文。
とにかく当時こういうハードロック及びメタルバンドの、しかもアーカイブなMVなど見るチャンスというのは洋楽情報番組でもなかなかなくてしかも我が家にビデオデッキはなかったので、録画のかわりに己の脳裏に焼き付けるしかなかったというそんな状況下で見たいビデオが登場したときの歓喜ときたら!!

過去感想「ロビンはなんかを──」というところからの記述はMVの中の西部劇パートについてのもの。
「フォアンのこわいかお」というのは掲示版に打ち付けられた指名手配の紙を睨みつける表情のこと。
メンバーの中ではフォアン・クルーシェ(ba)が最も役に入っているような印象も受けた。

「THE RATT GANG」として懸賞金をかけられたお尋ね者5人に扮したメンバー。
そのいでたちが意外にというかなんというかすごく似合っていてステージでのメイクを施した危険な香りのする顔と違い、メイクなしの素顔は普通に皆、好青年的でなぜかホッとしたような。

アルバム「Out Of The Cellar」(1984年)を(この地点で)150万枚売り上げたゴールドディスク授与の模様も華やかなコンサート、サイン会、ツアーバスの中の様子などミニドキュメンタリー風イントロダクション。

さてバスを降りたラットの皆さん。
そこは西部劇の……セット?
それともトワイライトゾーン的な世界?
ここ、メンバーはいろいろしゃべっているけどなんとな~く聞き取れ……ない(あーあ)。

そうこうしているうちに曲が始まる。
若々しく貪欲なギラつき、ギターの音のきらびやかな印象の中にいぶし銀のような渋さも居座っていてリフ、展開共に重厚。
そして舞台は西部開拓時代へ。
合間に差し込まれた躍動するライブ映像も相まって鳥肌が立つほどのカッコよさ!

で、ラスト間際、ラットギャング vs 保安官軍団の撃ち合いからのボビーが椅子からコケるところ。
……ボビーは撃たれたか?……まあそれはともかく(!)、そのコケたボビーに駆け寄る皆のかんじがなんかいい。

ロビンとフォアン=すぐに助ける係 スティーヴン=半笑い(?) ウォーレン=やる気なし(??)

そんなプチほのぼの感もありながら今見てもやっぱり80年代ラットのMVの中で一番好きな作品である。


というわけで時系列的にちょっとややこしいかんじになってしまったが、なんだかんだすっかりお気に入りになったラット。
このあと自分の中でのラット祭りが更に盛り上がっていくこととなる。
その起因となった曲は「You Think You're Tough」。


このあたりの思い出は次回でまたグダグダと。

The Police 「Synchronicity Ⅰ」と「Synchronicity Ⅱ」

2曲とも1983年に発表されたアルバム「Synchronicity」に収められており、私が最初に知ったのは「Ⅱ」の方。




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楽器など様々なもので無機質に混沌と積み上げられた、なにか砦みたいな。
「ギターの砦」にはアンディ・サマーズが、ギターに骨があれば的なものをエアでかき鳴らし、「ドラムの砦」にはスチュワート・コープランドが、こちらは意外にまともなスネアを一心不乱気味に叩いている。
そんな中を渡っているロープにぶらさがり、雄叫びを上げるスティング。
ひとりだけベースも持たずフリー。
ホワイトブロンドの短髪、精悍な顔貌が印象的である。

なんだかそんな3人の勇者が見えざる敵と戦っていきそうな気もしてくるMV。
当時の感覚における近未来的な雰囲気というか。


……ちなみにこのMV、監督はゴドレイ&クレーム。
10ccの曲者チーム(!)だった二人である。



初めてこのビデオを見たのは小6の終わりかけぐらいの時期。
紙とか布とかそういうものでやや嵩高くなっていそうな地面を後ずさりする歌の人(スティング)がクルッとバサっと倒れ込んだままになるところに、なんかお茶目さを感じたりなんかして。

見た目の印象で覚えているのは一番若いと勝手に思っていたアンディの実年齢(84年当時、42歳)をあとで雑誌で知って驚愕したこと。

私の父より年上だなんてウソだろう〜!?的に。
そのとき中1の私からしたら自分の父親でも完全なるおじさんなのに、その上40歳を過ぎた年齢というのはもうかすかに初老に近いイメージだったのだ。


さて曲の方はというと風に乗るようなワクワク感にAメロでの高らかに伸びるボーカル、合いの手のようなつなぎのリフも耳に心地よく残って私はすぐに親しみを感じ、いいな〜と思った。
そして、「シンクロニシティ」というそれまで聞いたことのない不思議な響きの言葉も。

ということで「いつか買いたいシングルレコードリスト」にこの曲を追加した。
が、なかなか買う順番は回らなかった。
なにしろ欲しい曲は増えていく一方、しかしながら懐事情により購入する曲は厳選しなくてはならない。
「今回は見送り」(この枠の曲の方が圧倒的に多いのではあるが)となる日々がしばらく続いたが、いよいよこの曲の番がきた。
それが中1の冬。長いことかかったがやっと買える。

心が定まった清々しさで足どりも軽くレコード屋へ。
ポリスのシングルコーナーにてレコードを一枚一枚引き抜いて確認しながら探す。


(……ない?)


いや、正確には一枚「?」なシングルはあったのだ。
そこにはタイトルが「シンクロニシティ」とだけしか表記されていなかった。

「Ⅱ」の文字がない。
もしかしてビデオでは「Ⅱ」がついていて本当のタイトルは単に「シンクロニシティ」とか?
でもそんなややこしいことする?
違う曲?同じタイトルなのに?

頭の中が「?」だらけでジリジリしてくる──。


そんな状態でジャケットを睨むように見ていると、下の方に小さく「Synchronicity Ⅰ」と英語表記が。


(Ⅰって、1……ワン?なにこれ!?やっぱり違う曲なのかな。でも、カタカナのタイトルではうしろになにも付いてないけど。なんでカタカナのうしろには「Ⅰ」って付いてないんだ?)


私は「Synchronicity I 」という曲の存在を知らなかった。


今思えばあのシングルは、邦題で「シンクロニシティ」だったのかな。
「Ⅰ」だけ省いた形。
初出においては数字を付けずとも1番目であるとわかるからそのままにしたとか。
アルバムのタイトルは「Synchronicity」だからそれと関連させたのかもしれないし。
が、なんにせよ当時の私にはわからないことだらけだったのだ。

まあ、悩むくらいならお店の人に訊けばよいのだが私はかつてクワイエット・ライオットのシングルを買おうとしたときのことをまだ覚えていた。


obachan1971.hatenablog.com


私はガラスのハートの持ち主(自分で言うな)なので、また「ない」とか「知らない」とか言われたら恥ずかしいと思ってあの日以来、店員さんに訊かなくなっていた。

そうして思考が煮詰まった挙げ句、「Ⅰ」も「Ⅱ」も「シンクロニシティ」というタイトルに溶け込んで消えていった。


(こうなれば実際に聴いてみないと。とにかく、買って聴いてみないと……)


──なぜか、勝手に追い込まれていた。


そんなわけでこのシングルをレジへ。


帰宅後、すぐにレコードを取り出しターンテーブルに乗せる。
聴こえてきたのは知らない曲。



*このジャケットはアルバムのもの

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「…………」


その瞬間、催眠から解けたみたいに平常心を取り戻した私。
どうしよう、と普通に落胆しつつ買ってきたばかりのこのシングルレコードを店に返品したい気持ち。
でも別に不具合があったわけでもないし、何よりすでに針を落としてしまっている。

自業自得。
こういうときはやはりご縁がないということだ──。


と、思っていたが。


「Synchronicity Ⅱ 」、なんと日本ではシングルとしてリリースされていなかったのだ!
これはウィキペディアの英語版(日本語翻訳)で「Synchronicity Ⅰ」のことを読んでいて知ったのだが、日本でのシングルは「Every Breath You Take」と「Synchronicity Ⅰ」の2曲のみ。


元からなかったものを欲しがっていたのか。
いやしかし、あたりまえになんでもすぐ調べられる時代になってから初めて知る事柄の多いこと!


さて、こうした経緯で出会った「Synchronicity Ⅰ」。
もう仕方ない。せっかく買ってしまったのだから聴くしかない(言い方!)。
 
が、この曲は私からすると大人であり、難しい印象だったのでいっぺんに好きになることはなかった。
また、洋楽リスナーとして駆け出しであった私の耳は曲のレベルに追いつけず、自分にとっての旨味ある箇所がないかを探すも見出せず。

シングルのジャケット裏には歌詞の和訳も載っていたので読んでみる。

ふむ。こちらも難しい。
日本語だけどよくわからない。
シンクロニシティ」は「同時性」と訳されていた。
それってどういう意味?
日本語なのに理解出来ない(あ”〜)。

もはやあきらめてこの曲をそっとしておけばいいのに私はそれをするのが悔しいのでしない。
とにかく聴く!気に入るまで!(執念!)。

聴き込むうちになんとか馴染んではきたが、やはり「Ⅱ」の方が好みということに変わりはなかった。


数年後。

ようやくアルバム「Synchronicity 」を聴く。
「Synchronicity Ⅱ」を音源で聴くという宿願を果たすのが目的であった。
以下は当時の薄〜い内容の感想。



1990年6月1日(金)

ポリス 感想

このアルバムの目当ては「シンクロニシティ Ⅱ」。
もちろん他の曲もよかったけど、それってなんか意外だったなぁ、もっとヘンな音楽やってるよーなイメージもってたから。
耳にとって健康な音でした。
やみつきになりそーなくせのある……、っていうか、そんなかんじ。



──ヘンな音楽!?
私はポリスのことをどう思っていたのか、もうこのときの私に聞き取りでもしない限りわからない。
ま、それはいいとしてアルバム鑑賞の満足度も安定しているうち、私の中で「Synchronicity Ⅰ」への感想も変わっていった。

数字が次々と出ては消えるフラッシュ暗算のようなイントロ、そこに絡むシンバルワークからの疾走するドラム。
スタイリッシュかつタイトに、なにか教えを説くように理路整然と展開するその流れは高揚感をも伴って最後まで保たれている。

90年に書いた感想にもあったが、まさに「やみつき」になるような味わいがやっとわかってきたみたいな。


そしてタイトルである「シンクロニシティ」とはユングが提唱した概念とのこと。

そこから構築された詞の世界は……やはり解釈が難しい。
自分なりにということでさえも感想が要点を得ない。
この点は相変わらず、追いつけていないままのようだ。


ということで。

最初からお気に入りだった「Synchronicity Ⅱ」、年月を要した「Synchronicity Ⅰ」。
私にとって対照的な両曲だが、今ではどちらも堂々と好きな曲である。

10cc「Good Morning Judge」 (ミュージックビデオ感想)

少しだけこの曲の感想がある過去記事はこちら⬇
obachan1971.hatenablog.com


高3のとき(1989年)に聴いた10ccのベストアルバム「10cc Greatest Hits 1972-1978」で知り、「私の中の70年代ってイメージ炸裂!」と喜んでるような感想だった。
そもそも1972年から1978年までというくくりのアルバムなのだから全部もちろん70年代の曲なのだが。

ということで軽妙かつカントリーっぽいテイストが小気味よいこの曲のミュージックビデオ(以下MV)にあれやこれやと茶々入れでもしてみようかなと。 





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適宜コンパクトに挿み込まれる演奏シーンに続き、オープニングは刑事ドラマに出てくる犯人みたいに(って犯人か)逃げるエリック・スチュワート(追いかけてくる警官はグレアム・グールドマン)というシチュエーションから。

ここでの見どころはなんといっても「走るエリック」。

走るイメージが全く湧かないエリックがワーッと走る。
もうそれだけで貴重映像のような気がしてしまう。
階段を勢いよく駆け下りる場面では急ぐ気持ちと裏腹に脚がもつれて転げ落ちたりしないかドキドキ!(言いたい放題)。

頑張れエリック。
走り抜いてグレアムをまけ!



──そして。


「おはようございます、判事さん」



あ、捕まってる(でないと歌にならん)。


そんなこんなで始まるかわいい裁判劇。

グレアム、今度は判事に。
芝居っ気満々、こなれた感あり。

かたや被告人のエリック。
こちらは……

演技する気、ゼロだな(オイオイ)。

が、エリックはそれでいい。
それでこそエリックだ(?)。

なんかエリックがほとんど素のように見えるからか、比較するとグレアムの方はすごく張り切ってる人みたいに見えたりもして。


で、証言台のエリック。

すっきりきれいに髪を整えたエンジェルフェイスな人が首にバンダナを巻き、スタイリッシュながらちょっとワイルドな革のシングルライダースジャケットを着ていることに改めて不思議な違和感を感じることは置いといて(!)。

とにもかくにもエリックはスラスラと歌で供述。
グレアム判事はずっと首やガベル(木槌)でリズムを取りながらそれを聴いているのが飄々(ひょうひょう)としていていい。

それでその供述に出てくる一目惚れしてしまったかわい子ちゃんって、ストリートガール?
かわいいというよりなんか怖いよ。

そんな彼女に歩み寄り、肩を抱くエリック。


……ぎこちない。


そしてそのまま固められたみたいに連れ立って歩き出すのだがちょいワルっぽいギャルとアルカイックスマイルなエリック、どう見ても妙な組み合わせではある。


まあそのようなことでどうも欲望のまま行動してしまう人物らしい。
それが悪いことであればもちろん罪になる。
その結果のこういう状況がめんどくさいしもうさっさと刑務所に入れて欲しいみたいな被告。
さて12人の陪審員の皆さんは……。


この人たち、よく見ると全員エリックとグレアム。
扮装していろんな人になっているのだが、ほどよく肩の力の抜けた扮装具合といい、曲と連動した評議中の皆の動きといい、まんまとなごむ。
ちょっと一人ずつ見ていこうかな(ヒマ)。

まずは前列左から、勝手に職業予想してみる。


1: 税理士
2: 配送業
3: とうもろこし農家
4: スーパーの店長
5: 眼鏡店勤務
6: 高校教師(数学)

次は後列左から。

7: 百科事典のセールスマン
8: サンタクロース(普段)
9: 宝石商
10: ホテル経営者
11: タロット占い師
12: 俳優


……あんまり身近にいるような人がいない?(貧弱な想像力)。

それはさておき、この面々の中で個性を感じるのはやはりというかグレアムが担当した人たちで、ひとりひとり簡単に性格付けまでされているのでは?
たとえば2の人、気軽に来てほんとにお気楽なかんじ、4の人の生真面目なかんじ、などなど。

で、エリックが担当した人々はこれもまたやはりというか誰に扮しても結局「エリックさん」なのが素晴らしい。
その中でなにげに1のエリックは早く帰りたそう(!?)な表情があったり、12のエリックなんて扮装もしてないよね(と言いつつ俳優って書いたけど)とかそういう見方をするのが面白かったり。


……いや、待てよ。
そういえば6のグレアムも扮装してないっぽいな。
もしかして6と12はエリックとグレアムそれぞれ本人役なのかも。
他の陪審員たちが首をずっと横に振っている場面でこの二人だけが首を振らずに傍観してたし(意味不明な推理)。

あ、ちなみに陪審員の評議内容は「彼はやってないよね〜」みたいな?(超ざっくり)。


さ、続いての供述は!
なんと、車の窃盗でございます!(通販のCMみたいに言うな)。

こちらの再現シーンはカメラアングルやベルボトムの脚長効果も手伝ってエリックの脚の細長さが一層際立つ。
この場面、車もかっこいいし颯爽(やってることは悪いけどね!)。

とにかくよっぽど早く刑務所に入って落ち着きたいのか、洗いざらい軽やかに。

ここでも陪審員側の意見は「やってない」。
で、そんなに言ってくれるのならそうなのかな、エヘヘ(?)とでも思ったのかどうかは定かではないがエリック被告、ここに来て罪を否定し出したのだ。
僕はやってないよって、え、じゃあ今までの素直な供述はなんだったの〜!?


いやはや全くもってヘンテコな被告なのだが、ついに暴挙に出る。
あろうことか法廷にギター及びアンプを持ち込んでおり、証言台を倒して見せつけるようにカッコよくソロを弾きだしたのだ!

一体これはどういうことか。
煮え切らない判事への挑発か?

それに対し、判事は──


まさかの挑発に乗る!同じくギターで!

判事側もギターを隠し持っていたのだ。
まさに掟破りである。
グレアムはベースなのに(そっち?)。

こうなればもうバトルあるのみ。
レスポールのエリックか、ストラトキャスターのグレアムか?

しかし、いい掛け合い。
バトルというよりなんかほのぼのしてるうちに終了(早〜)。


そうしてギターで頑張った甲斐もあり(もう何が何だか)、刑務所に送られた(戻った)エリック。
一瞬しか映っていないが牢の中で喫煙したりして、部屋着(舎房着)でのびのび。

それにしても鉄格子越しのエリックはすっきりといい顔!
外に出ていろんなことしてそれなりに楽しんだとしても帰る場所はなんだかんだ言って結局はここ(牢獄=ホーム)、やっぱり家が一番落ち着く〜的な?

ただ、個室ではなくルームメイトがいてこれが見るからにヤバそうな雰囲気の受刑者(演者はまたまたグレアム。芸達者!)。
エリックに新聞を取り上げられても速攻で取り返し、いかにも底意地の悪そうな表情が憎たらしい〜!(ってどっちもどっちだが)。

はたしてこのふたり、仲良くやっていけるのか否か!?




──う〜ん、でも欲を言えば演奏シーンだけの別バージョンもあればよかったのになー。

エリックは何かのお店のユニフォーム風赤系のピンストライプ模様の服がかわいいし法廷とは違うギター(レスポール ダブルカッタウェイ、というやつ?)で演奏もノリノリ。
ドラムのポール・バージェスはこの場面でしか見ることが出来ないからこその手前での配置なのかな?
逆にグレアムはシンバルに隠れがち(それを言えばエリックもだけど)で目立たない存在みたいになっていてもったいない。

赤、黄、青と信号のような色のライトもレトロポップでおしゃれ。
やはりこちらの映像の方も、もっとじっくり見てみたいと思った次第。


とはいえ充分楽しいMVということにはもちろん、異議なしである!!

Pink Floyd「Live At Pompeii」(昔の感想)

1990年に書いた、ビデオ「ピンク・フロイド ライブ・アット・ポンペイ」(1972年の作品)の感想文。
何日かに分けて書いていて、ノートではひらがなを多用。
が、それでは意味がわかりづらいのでここでは漢字に直した。



1990年6月1日(金)

感想(一部)

5/31にP.フロイドのビデオを見る。
まず「Careful With That Axe,Eugene」までを見たけど、なぜか私は見ながら泣いてしまった。
人間の中の、一番深い潜んでいる部分が音楽と共鳴したってかんじで背中が寒くなって。
その部分っていうのが、いわゆる誰もが持っている狂気なのかと….
D.ギルモアは今よりやせてて声がよい。R.ウォーターズの声もよい。

メンバーが夕食とってる姿もきょーみぶかい。
又何よりポンペイという場所がとてもよい。
ロマンとインテリジェンスあふれるビデオっていうか。
スタジオで「狂気」をレコーディングしてるところもすごく貴重なものだし、本当によかった。


6月2日(土)

P.フロイド 感想 (第2部)

「神秘」からを、きのう1人で見た。
ロジャー・ウォーターズが操るシンバルの緊張感ある音色、ニック・メイスンがそれを持続させ、リチャード・ライトのピアノは狂い出したかのように同調し、不協和音を奏でる。
デイヴィッド・ギルモアのギターがさらに「狂気」へと変化していく上でのある種の恐怖を呼びよせる…
特にロジャーが太陽に溶け込んでドラを思いっきり叩くシーンは、まさに神秘としか言いようのないものだった。
私は、なんというか、ただただ圧倒され、ただただ感動しました。

「狂気」をレコーディングしている映像。
デイヴが何回も同じところをくり返すところなんか、興味深く見た。
ロジャーが「スティーヴ」さんのことをしゃべってるとこなんか、キツイなあとも思いながら、でもホンマのことなんだろうし…などと思ってしまい、よくケンカにならないもんだと思ったな。

「ワン オブ ディーズ デイズ」はニックの独壇場ってかんじの撮り方で、「マドモワゼル ノブス」は犬さんが主人公。
犬にマイクもっていったの、リックだったんか。
犬を見るロジャーの顔つきはなんかお茶目(!)で、このビデオの中で唯一、ホッと心が落ち着いて、なごむ曲だった。

そしてラストの「エコーズ パートⅡ」。
またあの緊張感がよみがえる。
バックには「エコーズ パートⅠ」の映像がながれ、その中で黙々とプレイする4人…
古代の神々に取り憑かれたかのような、物々しさをも漂わせて…
4人はだんだん小さく遠のいていき、ポンペイの廃墟、パンクラチオンが広がり、かくしてビデオは終わった。

このビデオで印象に残ったものというと、この遺跡に残された芸術。
噴火口付近を走り来る4人(かばんを持ったデイヴがなんかかわいいna)。
4人が夕食をとってる姿(やっぱフツーの人間なんだな、私と同じ。あたりまえやけど)。
曲のタイトルの表し方。
とにかくすごくよかった。


6月8日(金)

P.フロイド 感想(第3部)

書き忘れてた曲「セット ザ コントロールズ フォー ザ ハート オブ ザ サン」のことを。
東洋的なサウンドに、静かに語りかけるロジャー。
それは、終わることがないかのように続き…なんというか、不思議と私にとって落ち着く曲でした。
ドラムの音もgood。左耳を押さえて歌うロジャーはニール・ショーンのよう(…..)。
リックのサイケなキーボードの音もよい。

さて!むずかしい曲やビデオの感想はここらでおわり。
あとはしょうもないことを書こう。

私、この2、3日でロジャーのことがかわいいと思うようになってしまった。
それまでは別に思わなかったのにna。
デイヴもよーく見るとかわいいし、ニックはなんかコミカルな雰囲気。
リックは、なんとなく、坊ちゃんってかんじだね。
あくまでアップルパイの「真ん中のやつ」を食べたかったリックに「皮のないパイ」を欲しがったニック。
ヘンなコンビ!(?)。

そういえば、「エコーズ Ⅰ」のときにあったひげが、他の曲のときにはなかったリック。
ない方がいい(この人、今もあんまりルックスが変わってないとこがスゴイ)。
デイヴのギターがフィードバックジャンプしたときに見せるあの表情も、かわいいぞ。
あ、それでデイヴは、この時代にしては「もみあげ」がみじかいので少〜し、おどろいた。



──え、デイヴのもみあげのことを雑に取り上げて終了!?
しょうもないことを書こうとあったがほんとにしょうもないことしか書いてないな。

アップルパイの「真ん中のやつ」ってアップル フィリング(りんごの甘煮の詰め物)のことか。
「皮のないパイ」、つまりアップル フィリングだけ。
二人とも具のりんごのみ食べたくて、皮はいらない、と。
うーん、パイ皮作るのってめちゃくちゃ大変そうなのに(そんな問題ではない)。
これを書いた当時、二人が違う好みなのかと思ったけど早とちりだったようだ。
あと、語尾に「na」とか書いてるのはこの時期のマイブーム。
こういうの、年取ってから読み返すとなんでこんな書き方したんだと恥ずかしさと後悔の念がこみ上げてくるのは常ではあるが、まあ若気の至りということで。


このビデオを買うきっかけは高1のときにMTVにて「Careful With That Axe,Eugene」(邦題は「ユージン、斧に気をつけろ」)の映像を見たこと。
おそらく番組内のコーナー、クローゼットクラシックスで登場したのではと思う。




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これを見た私はものすごい衝撃を受け、翌日も頭をリセット出来ずに授業中もクラクラしながらこの映像から降りてきたかのような落書きをノートに描いたりしたなー。
ということでそのときの感想が以下。



1987年5月4日(月)

5月3日(日) MTV ピンク・フロイド「ケアフル ウィズ ザット アックス、ユージン」1969年

あのベースを弾いてる人の声はなんだ!?
コワ〜イよ!!めっちゃコワ〜イよ!!動物の鳴き声のマネか!?
とにかくあれは歌とちゃうよな、音楽長かったな〜。
昔のんってカンジ、すご〜くしたぞー!
ベースのヘッド近くにタバコさしてたりして…でも…こーゆー時代に若者じゃなくてよかった…とゆー気がする…あんなん…ねえ〜….!



──要するに、とにかく「怖い」。
その中に理解の追いつかない膨大で深淵なものを感じ、この時代こういう音楽があって、そして若者はそれを普通に聴いていると想像してみたら、おそらく私なんぞ、その世界の中の末席を汚させて頂くことも出来ないはず、と。
この曲からの1969年という、当時の私にとって遥かに昔で想像もつかない響きがやけにシリアスで恐ろしい。
そんな気持ちが最後あたりの文章に表れているのではないか。
……ま、文体は軽いけど。その文中、「あんなん」というのは「だって」、「昔のん」は「昔のもの(映像)」というような意味。

このときの映像は「Live At Pompeii」に収録されているのと同じもの。
MTVで出たテロップ、1969年というのはこの曲が含まれたアルバム「Ummagumma」(ウマグマ)が発表された年であり、映像は上記の通り1972年である。
しかしそのことを知らなかった私はこれが1969年のものと思っていてその気持ちで感想を書いた。
三年の違い。
それを知っていたとしたら感想も変わっていたのだろうか。


この感想文の最後には〈おまけ〉としてこんな文章が書かれていた。


今日のマイケル富岡はエラく明るかった。
なんかエエことでもあったんか?



──ピンク・フロイドといつもより明るかったマイケル富岡
味な取り合わせ(!?)である。

持久走のお供の曲

ある状況での思い出。

中学校に入って最初の試練、それが体育の授業での持久走だった。
これが行われたのは1学期で、その中でどのくらいの期間続いたのか覚えていないが、とにかく毎回あったのだ。
授業のうちの大部分はぐるぐると走っていた。
時間になれば終了とはいえ、私からしたら無間地獄のように感じられた。


(しんどい。横腹痛い。走りたくない。助けて〜。誰か助けてくれ〜!!)


──って、誰が助けてくれるわけでもなし。
そのまま逃亡したい気持ちでいっぱいだったがそうもいかない。
そこで私は現実逃避することにした。
音楽を脳内再生させてこの嫌すぎる時間を乗り切ろう、と。

当時のお気に入りをいろいろ再生させていたと思うが、今でもよく覚えているのはBerlin(ベルリン)「No More Words」(1984年)とHoward Jones(ハワード・ジョーンズ)「Hide And Seek」(1984年)の二曲。




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ベルリンはアメリカのニューウェイヴ系バンド。
ボーカル、テリー・ナンの特徴的なカラーリングのボブヘアーがおしゃれな印象。
ミュージックビデオではその髪型とリンクさせたデザインのクラシカルな服装とも相まり、ノーブル感さえも。
曲自体はラジオで流れてきたときにいい曲〜と思ったのかすでに知っていたのか忘れたが、途中からエアチェックした記憶。

さて、まず序盤は冷静にペースを一定に保てるような曲から流す。
(例:ジェネシス「That’s All 」とか……だったかな?)
ベルリンのこの曲は走り始めてまあまあ消耗してきたくらいのところで選択していたと思う。
ノリもテンポもちょうどよくて少し前のめりに気分が高揚してくるような。
その効果と共に、今していることは楽しいことなんだ!と自分に催眠術をかけることも忘れずに(切実)。
とにかくこの曲は頭の中でリピートする回数が最も多い、いわば主要曲だったのだ。

そして。

「No More Words」でものすごく助けられて、そのまま持久走がフィニッシュすれば一番いい。
ところが大体の場合、なかなかそうは終わらないのでこちらの体力は限界に。
もう、ヘロヘロである。
こうなれば意識が限界の向こう側に到達するまで、一切の雑念を払う必要性が出てくる。
目指すのは「無の境地」。

お次はそこに導いてもらうための曲を脳内再生。
まあ、BGMがあること自体「無」に至る道ではないのかもしれないが。
この場合、音楽ありきのそういう方向ということで(どうでもいいわ)。


登場するのはハワード・ジョーンズ。




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ハワードはイギリス出身のアーティスト。
この頃は一人でシンセサイザーを操り、傍らにはジェド(パントマイムのパフォーマー)というフォーマットで活動していた。
エレクトロポップというのかそんな音楽性で耳に心地よい最先端の電子音(!)、素朴で温かみのあるハワードのルックスという取り合わせがまたよかった。


ちなみにこの曲「Hide And Seek」の邦題は「かくれんぼ」。
アルバムの邦題も同じ「かくれんぼ」。
でもアルバムの本当のタイトルは「Human’s Lib」。
ややこしいよ!


そんなこんなでこの曲により、まるで修行僧にでもなったかのような気持ちに。 
心静かに、粛々と。
不思議にスーッと体の中の熱が引き、涼しく楽に走れたような気がする。


そんなわけで、この持久走という名の苦行をなんとか完遂することが出来た。
その後もマラソン大会など苦手なイベントは数回ほどあったのであるが、その際に何の曲で気を紛らわしたかを覚えていない。
もっとも、持久走ばかりの授業など後にも先にもなかったし、よっぽど嫌だったからこその、脳内再生曲が思い出として残ったのであろう。

Kajagoogoo 「Big Apple 」

カジャグーグーは私の洋楽人生黎明期に知ったバンド。
もっとも、それは小5のときに買った日本のアイドル雑誌で紹介されていたのを見たというだけだったのだが。

今回はすごく好きな曲のひとつ、「Big Apple」(1983年)のことを書いてみる。




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曲に関しての最初の情報は小6のとき、これもまたアイドル雑誌から得たように思う。
リマール(ボーカル)の脱退、ベースのニック・ベッグスがボーカルを兼任することになり、その第一弾シングルが「Big Apple」という記事。 

ラジオで初めて曲を聴いたのがたしか中学に入ってまもない頃(1984年)で、そのときの感想は「なんか、むずかしい」。
むずかしいイコール楽しめない、だから退屈。

小5のときから知っているからというよくわからん理由でカジャグーグーを嫌いになりたくなかった私は複雑な気持ちに。
とにかくエアチェックはしたのでこの曲を好きになるよう自分に暗示をかけつつ何度も聴いて馴染もうとしてみたものの、ダメだった。 


この曲に感じるもの、それはなんといってもスパイシーな爽快感。
だがそれは当時の私にとってはただ辛(から)いだけだった。

そしてニックのボーカル。
硬質な歌声は曲に負けず劣らず清々しい。
甘くないメントールキャンディのスースーするかんじ。
しかし、どうもしっくりこない。
フワフワとしたプラチナブロンドのおしゃれで細身、ソフトなルックス。なのにそんな声?みたいな。
見た目で勝手になんとなく、甘くやさしい系の歌声を想像していたけど、実際に聴くとあんまり好きな声じゃなかった衝撃。


ちなみに、だからといってリマールの声が好きだったわけでもない。
リマールは、へんな言い方だが甘ったるい。
歌い方も含めて柔らかく艶のある美声なのだが、いかんせん色気とムードがありすぎなのだ。
メロンにブランデーをちょっと振りかけたみたいなイメージ……って、食べたことないけども……それはそれは甘美であろう。
でも子供だった私には受けつけなかった。
甘い系なら根こそぎOK、ではないのである。あ、でも別にリマールが嫌いとかではないよ(ややこしい、そしてめんどくさい)。


閑話休題

それから曲の方も、「アップル」というかわいい響きにつられてポップなとっつきやすい曲調、みたいに想像していたのかも。
この時、「ビッグ・アップル」がニューヨーク市のニックネームだということを知っていたかどうか……まさか、そのまんま「大きいリンゴ」の歌とか思ってたんじゃないだろうな。その辺の記憶はもう定かではない。

まあ、多分そんなわけでなかなか好きになる要素が見当たらず、ハードルが高いというかむずかしく感じて気に入らなかった。

録音(エアチェック)していたテープはすぐ伸びてしまい、以来進んで聴こうとするでもなく数十年経ち、ふと思い浮んでYouTube で聴いてみたところ、え、こんなにかっこよかったっけ?と目が覚めるみたいだった。



*TV番組出演時。当て振りながらニックのベースを高い位置で構える様子からは上手いオーラが。

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スラップで弾(はじ)き出される音数はもれなく標的に命中していくような。
シンセドラム、なんか懐かしい。当時はこういうシステムが最先端というふうに感じた。

とにもかくにもこの曲をほとんど忘れている間に私は着実に歳をとっていき、感覚も変わった。
退屈と思った曲、今ではスタイリッシュな躍動感に退屈しているヒマもなく、辛くてムリと感じたスパイシーさはもはや心地良い。
ニックの声に関してはその後シングル「The Lion’s Mouth」、「Turn Your Back On Me」(2曲共1984年の作品)を楽しく聴きながら一応、克服(!)。
その上で、おばちゃんとなった私の耳には懐かしく好もしい声となっていた。


すごく好きだった曲が後年嫌いになることはあまりないような気がするが、逆は結構多いパターン。
こういうの、やっぱり嬉しい。

Eddie Murphy 「Party All The Time」(ミュージックビデオ感想+ちょっとRick James)

前回、ドン・ジョンソンのことを書いていて俳優つながりで思い出されるのがエディ・マーフィ「Party All The Time 」(1985年)のミュージックビデオ(以下MV)。




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当時、エディはすでに超人気俳優としての地位を確立していたかんじ。
私も映画「Beverly Hills Cop(ビバリーヒルズ・コップ)」の人ということで知っていた。
といっても映画は見たことなくて映画関連(サウンドトラック略してサントラ)のMVを通して知っていた程度。

で、そういう映画絡みでなく純粋に曲を出すということが意外だった。
まあ、私の中の漠然としたイメージでただそう思っただけなのだが。


さて、MVはスタジオでのレコーディング風景という演出。
様々なレコーディング機材とスタジオへ向かうエディのシルエットが交互に映し出され、ドキュメンタリータッチで始まった。

プロデューサーとして場を取り仕切るのはリック・ジェームス
なんか「スノーク」(アニメ「ムーミン」の登場キャラ)に髪型が似てる。
……まあそれはさておき、リックはアーティストであり彼の最も有名な曲は「Super Freak」(1981年)。
のちにこの曲はMCハマー「U Can't Touch This」(1990年)のサンプリング元ということでも知られるようになる。



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この人を今回のMVの中で見たときの感想は、目立つ人だなーというぐらいのものだったと思う。
と言いつつ、実は小6のときぐらいにレコード屋のLPコーナーにていろいろな洋楽アルバムを興味本位でパタパタ閲覧していた際、たしか「ソウル」とか「ディスコ」とかのエリアでやたら同じ人のアルバムがあると思ったその人がリック・ジェームスだった。
──ような気がする(おぼろげ!)。


そんなこんなで本題に戻る。

ミキシング・コンソール周辺には関係者他、ギャラリーも。
エディは余裕の笑顔、かたやリック、真面目っぽく(!)エディにヘッドホン装着を指示。
リラックスした面持ちで歌い出したエディ、ずっとある方向を見つめているけどリックを見ているのかな?
そんなエディを見守るリック。自然に出る、合いの手拍子やエアドラムがアツイ。

ところで、この「Party All The Time 」というタイトル。
これまでずっと私の適当な想像で「歌う側(主人公)」がいつもパーティーしている歌と思っていたけど今回初めて歌詞を覗いてみるとパーティー大好きなのは主人公の「彼女」。
自分そっちのけで遊んでばかりいる彼女に寂しさを感じている(呆れてるとか?)、みたいな内容だった。

そうだったのか〜。こんなタイトルのわりになんとなくエディが控えめでちょっと妙な気がしたものだが、そういう歌詞で底抜けに明るく歌うってのもおかしいわな。
しかしながら、軽快でノリのいい曲調ゆえにスタジオ内のテンションは上がっていくのみ。
それまで静かに燃えていたリックもフツフツと気持ちが高まってきた模様。
とうとうプロデューサーとしての職務をほっぽり出し、満を持した感でスタジオの中へと乗り込む。

ベースのストラップを肩に引っ掛け、割り込んできたリック。
リックのパートってコーラスなんだろうが、終盤に向かって歌はコーラス部分だけなのでなんだか最後にはリックが大いに目立ち、おまけにシメのポーズも二人で。これ誰のMV?みたいな。

コーラスが目立ってどうすんだ。でも曲を作ったのはリックだから、しょうがないか(え?)。
エディもいつもの舞台ではない場所で、お世話になったリックを立てているようにも見えたりして。


ということで、私がこの曲で一番好きなところはエディのスキャットである(あの〜、歌は!?)。

Don Johnson「Heartbeat」(ほぼミュージックビデオ感想)

80年代に歌を出した俳優ということで思い出す、ドン・ジョンソン

ドンはアメリカの人気TVドラマシリーズ「MIAMI VICE」(日本でのタイトルは「特捜刑事マイアミ・バイス」)のソニークロケット刑事役(主演)として人気爆発。
薄手のシャツにパステルカラー系のジャケット、無精髭さえもオシャレで日に焼けた精悍なルックスは男の色気を漂わせている── 
私が知ったときはそんなイメージだった。
もっとも、当時の私にはその魅力の質が大人すぎてわからなかったのであるが。

ちなみに私もこの「マイアミ・バイス」を一応、毎週見ていた。
一応というのはドラマの内容よりヤン・ハマーによるきらびやかで気分の上がるオープニングテーマやドラマ内で流れる洋楽を聴いたり、時折りある様々なアーティストのゲスト出演をいつ誰が出るのかなんとなく待っていたり、そんな見方だったから。

と、前置きが長くなってしまったがそういう時期、私が中3のとき(1986年)に見たミュージックビデオ(以下MV)が「Heartbeat 」。



*アルバムタイトルも「Heartbeat」(1986年)

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このMVを視聴記録ノートに書き込んだ際、「ドンさん、リキ入りすぎ」みたいなことを添え書きした記憶がある。
それほど気合いが伝わってくる。こんなドン・ジョンソン、見たことない!(ってマイアミ・バイスでしか知らないけど!)。

しかし、カタい。
萌黄色のギターが印象的なドゥイージル・ザッパなど演奏陣が自然体(モード系女性コーラスコンビは取って付けたみたいだが。てか、コーラスしてないよね!?)でいるから余計にドンの歌う姿がガチガチに見えてくる。
動線、立ち位置はもとよりこんなふうに、という演出はあるのだろうけど。
なんにせよ、なぜか見ているこちらをハラハラさせ、最終的に肩を凝らせるほどである(!?)。

あと、ドラマではほとんど吹き替えの方で聞いていて地声の印象などなかったくせにドンの歌声が高めの美声だったのが意外だった。
ストレートな歌い方ながら、熱い歌唱スタイルという感想。

ウィキペディアをチラッと参照してみると、ドンは学生時代バンド活動をしていたみたい。
だから気持ちが入りすぎてあんなかんじ(!)になったのかな?


とまあ、この演奏パートだけだと結構くたびれがちなところを絶妙に補ってくれるのがストーリー部分。
こちらでの当たり前に自然な姿といったら!(思わずホッとする……)。

さて、以下は私の勝手な解釈での見方。

ハードボイルドな世界観。
紛争地、命がけでカメラを回すタフな男。一匹狼的な佇まいが渋くカッコいい。
そんなカメラマンのドンの前に現れた女性──この曲における象徴的な存在。
ドンはずっと、自分の胸が高まる何かを探している様子でそれが彼女、というか。

二度の遭遇共にレンズ越し。
一度目は距離があり、一方的に彼女を見てキュンときた。二度目はそれより近くて彼女とも目が合った。
ドンも思わずポーッとして運命を感じる(?)のもつかの間、また彼女は風のように消える。
そういう宿命なのかもしれない。それでもまだ探し続けている……みたいな。


なにかこういうドラマや映画があったとして、そのサントラのMVのようなかんじ。
どこかにもしや、本編があるとすれば。
ちょっとこのストーリー単体で見てみたい気もする。

初めての音楽雑誌

私が初めて買った音楽雑誌は「MUSIC LIFE 」(ミュージックライフ。以下ML)1984年10月号で中1のとき。
購入理由は当時ファンだったヴァン・ヘイレンの二人(エドワード・ヴァン・ヘイレンとデイヴィッド・リー・ロス)が表紙だったから。

音楽雑誌を読んでみたいという願望は以前からあったものの、一度買ってしまうと毎月欲しくなる。
従ってそんな思いが表面に浮上してこないよう、重しをつけて心の奥底に沈ませていたのだ。
他にも毎月買っていた雑誌があったし、欲しいからといってポンポン買っていたらいくらお小遣いがあっても足りない。

と言いつつ魅力的な表紙の誘惑に負け、この号限り次号は買わないからと自分に言い聞かせ購入。
が、禁断のページ(!?)をめくってみるとそんな自制の重しも外れ。
早い話、こちらがメインとなったのである。


さて、10月号を開いてすぐのページに載っていたのはホワイトスネイクのボーカル、デイヴィッド・カヴァデール。
その年の夏に開催されたロックフェス「スーパーロック’84 イン ジャパン」でのカラーグラビアだった。
それを見た感想はというと……


「厳しそうなおじさん」


……そういうふうに見えた写り方。次のページではカッコよかった。

ホワイトスネイクというバンド自体はミュージックビデオ(以下MV)で見ているはず(ノートに記録していたし)なのにそのMVの内容すら覚えていなかったので、このとき初めてメンバーを見た感覚。

他に印象的だったのはマイケル・シェンカー・グループ(以下MSG)を率いるギタリスト、マイケル・シェンカー。
前髪とサイドを後ろ(というかほぼ頭頂部)でまとめてハーフアップにしたこの人は「神」と書かれていたのだが、その割にはカジュアルな格好してるな〜と(神のドレスコードってか?)。
なぜかそこに若干の違和感を覚えながらも、とにかくこの人は神なんだなと。
で、MSGもホワイトスネイク同様、MV見たのに覚えてない系(そういうの多すぎ)。


と、そんなこんなで読み始めた初心者の私が最初からスッと入っていけたページはというと、やはりカラーやモノクロのグラビア。
おしゃれなヘアスタイルや服装に憧れたり(いろんな事情でマネ出来ない)、アクセサリーを見るのも好きでユニークな付け方(シンディ・ローパーとか)に目を輝かせたり、流行っていたマドンナのラバーブレスレットを買ったり(大量に付けるのがマドンナ流なのに財政の都合で数本しか買えなかったけど)。
そして私の洋楽魂のほとんどを占めていたミーハー精神をくすぐるアーティストのプライベートが伺えるようなコーナー(小ネタみたいなニュースが面白かった)。

それから「ML名物おもしろグラビア」。
これが本当に面白くていつも楽しみにしていた。
毎回、お題に沿って選び抜かれたアーティストの写真の数々に設けられた吹き出しにはいろいろな後付けセリフ。
そこには編集部の旺盛な遊び心と愛ある毒舌(!)をも炸裂していて実に痛快だったのだ。

あと、ML選考委員6名の推薦による「今月のシングルBEST10」の中に自分の好きな曲や購入したシングルが入っているとなにか「よし!」という気持ちで嬉しかったりも。

そして読者が主役のページも充実。
読者=先輩方から洋楽に関する豆知識、よもやま話をじかに聞けるようなコーナーの数々に興味津々!

「He Said She Said 」というギャグコーナーは文字で楽しむミニ大喜利、ミニコントというか。
当初、この場に登場する様々なアーティストのほとんどを知らず、ここで先に知るということも多かったが、改めて正式に(!)知ってくると面白さもじわじわと倍増。
ちなみにコーナー名の中の「said (セッド)」をずっと「サイド」と読んでいたのをあとからこの単語を学校で習って、そう読むのかと驚いた思い出も。
新聞文化面的レイアウトのページには各種投書欄の他、そっくりさんや人生相談まで(親身!)。
ページ最下部(罫下というのかな?)の一言投稿みたいなのもあって、今思えばツイッターみたい。
ここ、人探しや伝言板のように使われていたりすることも。改めて今との差がつくづくと。

反対にインタビュー記事など読み物系は根本的にだいたいのことがわからないので興味を持って読み始めても、なかなかに忍耐を養う時間となるかんじ。
アルバム、コンサートのレビューにおいてもそうだったが、それでも少しずつ音楽に付属する言葉などわかるようになってくると今度はなんでもわかったような気になっていく困った通過儀礼もありながら。

……まあ、今もあまり代わり映えしないのだろうが。

そんなかんじで、洋楽に関してコップ一杯ほどの知識、情報量もなかった私にとってMLとはいきなり目の前に開けた大海だった。
アルバムやビデオ発売の、キャッチコピーにコンパクトな紹介文が添えられた沢山の広告なども含め洋楽の世界の奥深さを誌面から感じとりつつも、フレンドリーでとっつきやすい雰囲気になごまされ、わからないことだらけであってもなんとか読み進めることが出来た。

そして中身だけでなく私は特にMLの見た目もすごく好きだった。
大き過ぎず小さ過ぎず、ちょうど良いサイズ感。ロゴもかわいい。
分厚くて背表紙があって、本棚に収めるとこの背表紙がきれいに並ぶところもお気に入りだった。

それと、忘れてならない付録の存在。
毎号は付いていなかったと思うが特大のポスターなど付いていればルンルン気分にて部屋に貼るのみ!
シールが付録のときは、これをどこかに直接貼ると剥がせないからシート状のマグネットに貼り、それを学習机や缶ペンケースの中にくっつけてたなー。


ということで取り留めもなく書いてしまった。いや、魅力の全てはとても書ききれない。
それほど、「洋楽」という名の幅広い守備範囲はもとより星占いもあれば音楽以外のコラム(映画、本、街のことなど)もあり、トータルで本当に贅沢な毎月の一冊だったと思う。

ただ、実はMLが86年5月号からリニューアルしたとき、私はかなり不満だった。
背表紙がなくなりロゴも変わり、サイズも大きく生まれ変わったのだ(その後もリニューアルはあったが)。
変化は悪いことではないと頭ではわかっていても、ずっと自分が好きだったままでいてほしかったのにと恨めしい気持ちにさえなってしまった。

そういうわがままなヘッポコ読者だったが、それでも私は間違いなく「MUSIC LIFE」でのびのびと育った。
思い出深い音楽雑誌である。

Kate Bush 「Wuthering Heights 」

1985年、中1の終わりぐらいのときのこと。

夜更かし禁止を母から言い渡されていたせいで、夜11時30分から始まる洋楽ミュージックビデオ(以下MV)がたっぷり流れる魅惑的な音楽番組「MUSIC TV」を堂々と見ることが出来ず、こそこそと見るしかなかったにも関わらず、この曲のMVを見たときの記憶はいささか妙である。
それは、二階にあった小さなテレビで見たということ。
別の部屋とはいえ家族は皆、二階で寝ているのにそんな大胆なことをするだろうか。
部屋を真っ暗にし、テレビの音量は最小にしていたとはいえ、寝付きの悪い母に気付かれて踏み込まれたら終わりなのだ(別に悪事を働いてるわけじゃないのに)。

ま、細かいことは覚えていないがとにもかくにも布団から抜け出し、MUSIC TVを途中から見始めた。

その時間帯は私にとって相当な深夜だったと思う。
登場するMVは古そうで知らないアーティストばかり。
それでも好奇心いっぱいで画面を食い入るように見つめていたのだが。

そうしているうち、感覚がおかしくなってきた。
なにかがスーッと入ってきて、夢と現実の境界線がぼやけてくるような。
そんな頭の中があやふやなとき、出現という言葉がしっくりくるかんじで映し出されたのがケイト・ブッシュ
「Wuthering Heights 」のMVである。




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私の目は画面に釘付けになった。


(……この人は、何……!?)


まるで羽根が生えているみたいに浮遊感のある歌、前衛的な独特の動き。
完全に自分の世界を発動させてスパークしているその姿にはある種の狂気すら感じる。

少しモヤがかかったような風景もどこか幻影のように映り、私はなんとなく怖くなってきた。
だからかどうか、この映像は今MUSIC TVで流れているものではない気がしてきたのだ。

昔の……私が生まれたぐらいの時代の放送がタイムスリップしてきてる?*1
なにか時空を超えて紛れ込んできたのでは。
それとも、まさか私が時を駆けてしまったとか!?

そんなふうに思ってしまうと急に焦り出した。
なにしろ「トワイライト・ゾーン」的な現象を目の当たりにしているのだ。

──って、もうその地点で脳は眠気で半分寝ていたのだろうが、とにかく頑張ってこの奇妙な感覚をなんとか客観視するよう努めた。
しかしながら、私は自分の感じたことを自分に説明することは出来なかった。

摩訶不思議な気持ちのまま視聴しているうち、もしかしてこの人妖精か何かなんじゃないかと疑い始める私。
気まぐれにフッと現れ、フッと消える(そんなイメージのMVだが)、もうそういう系統としか思えなくなってきていた。
ビデオ終盤、体全体でメトロノームみたいに、指先までもしなやかに丁寧に右腕を振り続けるところ、それが「さようなら。もう会えないけど、さようなら〜。さようなら〜!」みたいに感じて本当にもうこの映像を見ることは出来ないのかもしれないという気になってしまった。
そして見終わった後の余韻の作用も強く、特にあの執拗に(!)腕を振っている場面が頭にこびりついて離れなかった。


混沌とした気持ちで寝床に戻り、翌朝になってもまだ釈然としなかった。
あれは一体なんだったんだろう──なんだか現実に見た気がしないかんじ。
睡魔による幻……やっぱり……夢だったんだろうか。
夢の中で私はMUSIC TVを見たのかな。

とはいえ、MVの始めと終わりにはアーティスト名と曲名がしっかり出ていたが、そこも夢?
曲名の「Wuthering Heights 」が読めず、“Kate Bush”という名前は苗字だけかろうじて読めたと思うがなぜかその名前に現実味を感じなかった。
おそらく、自分の中にない単語、響きということでピンとこなかっただけだろう。
ともあれ私はこのことを忘れないよう、字面を目に心に焼き付けた。
そして、覚えている限りのスペルをノートの片隅にメモした。
夢でも不思議な出来事でもなかったことを確信する日が来るまで、正式に「見たMVを記録するノート」に書くわけにはいかない。



さて、この妖精かもしれない人は意外に早くその姿を現してくれた。

あれから数ヶ月後。
私は中2になっていて、発見場所は雑誌だったかテレビだったかもう定かではないがどちらにせよメモをしたあの名前を見つけたのである。

この名前──この人だったんだ!でも……なんか不思議度が薄まってるような──。

洋楽情報番組で見た「神秘の丘」(原題はRunning Up That Hill)のMVでも感想は同じ。
洗練された舞踊が美しいこのビデオの中のケイトからあのヘンテコリンな魅力が感じられないことに、自分勝手な違和感をも覚えたのだ。

「Wuthering Heights 」から7年ほど経った頃のケイト、いろいろ変わっていて当然。
経過など知らず、いきなりワープ状態の私からすれば彼女は落ち着いた大人の女性で、現実世界に確かに存在している人として映ってしまうのだった。

まあ、とにかくこれで彼女が実在のアーティストであることははっきりしたし堂々とMV視聴ノートに記すことも出来る。
だがしかし!ここで満足するような私ではない(しつこい)。

願わくばまたもう一度、あの曲のMVを見たい。
あの、なんて読むのかわからないタイトルの。

……とはいうものの見たければすぐ見れるという時代ではなく、洋楽番組を楽しく視聴する中でいつか目当てのMVが流れないかなと気長に待つぐらいしかなかったのだけど。

だからそれはそれとして、曲だけでもまた聴けたらいいな〜と。
ただ、ここでひとつ問題があった。
この曲には「嵐が丘」という邦題がついていたが、私はそれを知らなかったことである。

ラジオ欄などでは邦題が載るので原題だけで探していても永遠に見つからない。
そんなかんじで全然この曲が引っかからなかった。

その後、「嵐が丘’86」という曲が「Wuthering Heights 」のニューボーカルバージョンであるということをどこかのタイミングで知り、ラジオからエアチェックしたことは覚えている。



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ドラマチックな表現力、美しい声の響きは力強い。
どっしりと、まるで母なる大地の歌のように。

今、改めて2曲を聴き比べてみると実に興味深いのだが、当時はなんとなくオリジナル版と違うように感じる程度。
多分、私はもう元の歌の方をほとんど覚えていなかったと思う。
ただそんなこと関係なく好きな曲だったし、こちらバージョンもよく聴いてたな〜。

結局それからもオリジナルを聴くチャンスは訪れず、この曲1曲のためにアルバムを買うのはちょっと……などと長いこと躊躇していたがレンタルCDショップにもなぜか置いてなかったし、清水の舞台から飛び降りるつもりで(大げさ過ぎ)ケイトの1stアルバム「The Kick Inside」(1978年)を購入した次第。
すると事前の不安もどこへやら、他の曲にもことごとく魅了され、結果大満足するのであった。

ちなみにこのアルバムの邦題は「天使と小悪魔」。
大体の場合、邦題でイメージを狂わされることが多かったのだがこのアルバムでは逆。
これほどすんなりイメージと合致した邦題はないくらいで、このアルバムを思い浮かべたときに一緒に出るタイトルは完全に邦題の方である。

そんな天使のような小悪魔のような妖精のような(長い)あのMVはというと、もうほんとに全くどの番組でも流れることなくその映像は遥か彼方に遠ざかるばかり。

もう見られないかもしれない感覚は当たっていたのか?
とすると、あのとき私はやはり、トワイライトゾーンに……??

永遠に紛れ去ったかのようにも思えたMVだったが、長い年月を経てついに再びその姿を現してくれた。
発見場所は私にとってありがたい音楽系アカシックレコード的存在(ややこしい言い方!)、毎度おなじみYouTube である。

かれこれ35年ぶりぐらい。
さすがに今ではいろいろと冷静に見てしまうが、それでも知らぬ間にその世界に引きずり込まれている。
それはもしかして初めてこの映像を見たあの夜の、いつもと違う部屋の小さいテレビで見始めたときから始まっていたのかもしれない世界──いや、でも本当に、なぜあの部屋で見た記憶なのかな〜……(エンドレス)。

*1:この曲のリリースは1978年1月なのでそんなわけない。念のため。