洋楽クラシックロック雑記帳

懐古趣味の70年代、大体リアルタイムの80年代を中心に思いつくまま。ほぼ備忘録

別バージョン (3)

*セルフリメイク


セルフリメイクとは、過去に発表した自作品をアレンジ、再レコーディングすること。
今回はそれぞれのバージョンの曲への思い出やらを。


シカゴ「25 Or 6 To 4」(1986バージョン)




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オリジナルは1970年発表、邦題は「長い夜」。

先に知ったのは86年バージョンの方。
当時私は中3で、邦題から知り、そのあとすぐ原題表示を見たとき、なんだか意味不明な数字の並びだけど、それがまた暗号的でかっこいいなと思った。 


(25 か 6 から 4……)


時間の何か?
でも、数字同士の関係が説明出来ない。


そんな不思議な直訳しか出来なかった私、早々に行き詰まる。


……ま、とりあえず訳の方は置いといて(トホホ)、なんでこのタイトルがあんなふうな邦題になるのか、原題だけでいいのにな〜なんて思ったりしているうちに年月は過ぎ、現在に至る(!)。


ということで今回、やっとこさタイトルに関して調べてみた(以下、ウィキペディアを参照、抜粋)。

「午前4時の25〜6分前」(=午前3時34〜35分)

という訳になるそうだ。

この曲の作者であるロバート・ラム(vo.kb)曰く、「ただ時間について言っているだけ」。
真夜中に曲を作っていて、時計を見たらその時刻だった、ということ。

そして歌詞を読むと、作品を生み出そうとするその時間というのが、そのまま「長い夜」であったのだな、と。
そんな感想が出てくると、代わりにこの邦題に持ち続けていたマイナスな感想はなんとなく薄まっていった。

ただ、歌詞の解釈については諸説あるようで(こういうのもあるある?)。


さて。

86年バージョンでは新加入のジェイソン・シェフ(vo.ba)がボーカルを担当。
オリジナルメンバーのピーター・セテラ(vo.ba)はすでに脱退していてソロになっていたのだが。

この曲を聴いたとき、私はちょっと混乱したような記憶がある。


(あれ?歌ってるの、ピーター・セテラ?)


セルフリメイクとはいえ新曲なのに元メンバーがボーカルを担当するわけないなどと思いつつ、私はそれがピーターではないとの確信が持てなかった。

裏を返せばそれだけ新メンバーのジェイソンの歌声はシカゴのボーカルとして違和感なく耳に入ってきたということ。

ちなみにミュージックビデオ(以下MV)には申し訳程度にジェイソンを含むシカゴのメンバーが登場しているのだが、当時の私は見逃していたのだろう(のちにボーカルに関して正しく認識)。

で、曲。

曲調はシリアス、サウンドはハード。
MVのイメージも重なって、無機質な雰囲気の中にシカゴならではのホーンセクションが息遣いを感じさせつつ、メカニカルに組み込まれて聴こえてくるかんじ。

前作「Chicago 17」(1984年)からのシングルはハードテイストな「Stay The Night」以外バラードや軽やかな曲が続き、それらの楽曲もすごく好きだったのだが、次作「Chicago18」(1986年)からの先行シングルであるこの「25 Or 6 To 4」は私の感覚からすれば久しぶりのハード系の曲という印象で、このときすでにヘヴィメタル、ハードロックリスナーとなっていた私にとってはシカゴがまたこういう曲をやってくれるということが嬉しかった。

そんな、力強く当時の音のかっこよさもあったこのセルフリメイク曲。
私からすれば、オリジナルの方はすごく昔に発表されたのだな〜、ちょっと興味あるけど、という程度の感想で終了していた。

その後、私は自分の知らない時代の洋楽に興味を持つように。

で、高1くらいのときだったか、新聞ラジオ欄にてシカゴの過去曲を特集する番組を見つけた私は張り切ってエアチェック
このときの目当ては、ラジオ欄に載っていた方のタイトルで表すと「素直になれなくて」(原題 「 Hard To Say I'm Sorry」)。
そしてもう1曲、お、と思った「長い夜」。
もちろん、オリジナルである。




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DJはシカゴの歴史をコンパクトに紹介。
断片的な記憶しかないが、当時の時代背景、反戦運動シュプレヒコール怒れる若者たち……そんなワードと共に、政治的なメッセージのある曲をやっていたということに驚いた。
私が知っているシカゴにそんなイメージは全くなかったから。

さて、録音ボタンを押す。

「いったい現実を把握している者はいるだろうか」(原題 「Does Anybody really Know What Time It Is」)という曲のタイトルの小難しさに怯むも、そんな曲を聴いている自分ってなんかすご〜い(勘違い)とか悦に入ったりしているうちに始まった「長い夜」。


軽っ!


ギターの音がペラペラしていて、それが当時の音ということなのだろうが、私の耳には86年バージョンの音が基準になっていたから、それと比べるとどうしてもオリジナルの音は肩透かしを喰らったみたいに感じてしまった。

テンポも小気味良く、「あ、速〜」とかなっている間にも曲はどんどん進んでいって取り残されそうになる勢い。
 
そしてギターソロ、こちらも進撃するかのようなバッキングを背に脇目も振らず──やっぱりその、ペラペラした音は気になったけど──あと、当時の私はワウをかましたうねる音色もあまり好きではなく、ちょっとギターがなあ……みたいな感想だった。

ボーカルはハリのある澄んだ声で攻撃的に歌う、その声こそはピーター・セテラ。それだけで感動。
オリジナルということをそこで実感するみたいな。

リメイクバージョンのときもピーターが歌っていてほしかったけど、オリジナルを聴いて改めてまたそんなことを思ったり。

こちら、86年バージョンと比べて軽くて速い(私の感覚)、でも熱量はとんでもないというアンバランスさ、それらが混沌と圧になっているように聴こえて、聴くこちら側も立ち向かう覚悟がいるというか……昔のギターサウンドに耳が慣れず苦手だったこともあり、かっこいい曲に違いないのだが、それよりも他に録音したふんわりと優しい曲、「愛ある別れ」(原題 「If You Leave Me Now」)や「朝もやの二人」(原題 「Baby,What A Big Surprise」)など、そっちの方ばかり聴いていたかんじ。


ということで、近年は両方の曲を聴くこともなくなっていたのだが、このお題で記事を書こうとしたときにふと86年バージョンのことを思い出し、YouTubeで動画を検索しているときに関連動画として出てきたのがこの曲のライブ。




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なんとなく見始めたが、自然と目が釘付けになっていた。
最初に聴いたときのネガティブな感想のまま止まっていた、あのギターソロパートに。

何かに憑依されたかのような、息つく隙もない怒涛のインプロヴィゼーション
おばちゃんとなった私は、もうその音が古くてなんか嫌だとか思わない。
ただただ、めちゃくちゃカッコイイギターソロだと思うのみ!

ギターはテリー・キャス。
ちなみに私がエアチェックをしたときの番組DJは「テリー・カス」と発音していた。
そしてその中で語られた、銃によるアクシデントにより亡くなったということが衝撃的で、その印象ばかり残っていて彼がどの楽器の担当であったのかなど全く頭に残っていなかった。

こうして過去の貴重な映像を視聴することが出来る時代になって初めて知ることも、再発見することも本当に多い。


ライブバージョンが飛び入り(!)となって少し脱線してしまった。

ということで。

私からすると懐かしい86年バージョン、硬派な聴き味のオリジナル。
年齢を重ねてから改めての聴き比べもまた一興である。