小4ぐらいの時のこと。
外国の歌はどうやって聴くのか、とりあえず母に尋ねてみた。
その答えは「ラジオ」──。
当時の我が家のオーディオはセットコンポ(レコード、カセットテープのプレイヤー、ラジオチューナー)。
母はそれでラジオを聴いていたのだが、私からしたらその装置の中でラジオをというのは最も馴染みのないものだった。
私の中では母の聴いているものイコールラジオ。
それは大半がおしゃべりでその合い間に大人の歌謡曲がかかり、悠久の昔から流れ続けているかのようなCMの入る......。
そう、母ががっちり固定して聴いていたのはAMラジオだったのだ。
そして私はというともうそれしかないと思っているわけで、他にも選択肢がある(FMラジオ)なんて夢にも思わず。
ちなみに母は、外国の歌といえば学生時代にビートルズが流行っていたと懐かしんでいたが、そのときついでにFMの存在も教えてくれたらよかったのに。
とにもかくにも、母に教えられたようにチューナーをウィーンと回す。
ここで外国の歌がかかるような気がしない、と薄々絶望しながら。
結果、早々に袋小路である。
そこで私は気持ちを切り替えた。
外国の歌はひとまず置いて、先に日本の方を詳しくなろう、と。
年齢相応にアイドルにも興味があったのだ。
といっても、それは雑誌(明星や平凡)を買うというだけのことだったのだけど。
さて、楽しく読み進めていると、なんと海外アーティストの情報ページなるものが!
内容はまるでわからないまでも、こういうのも載っているんだ、と俄然ワクワクしたのは言うまでもない。
そしてアイドルの記事の中にも、ちらほらと洋楽のことに言及されているものがあった。
今、よく聴いているのは○○(洋楽アーティスト名)、というように。
そういった中に本田恭章という人がいた。
私は本田恭章のことを、アイドル枠に入れられているけど明らかに全身で「違うから」と主張している人というふうに見ていた。
そして前回の洋楽への道(2)でも少し触れたが、この人の記事で私はJAPANというバンドの存在を知ったのだった。
JAPANの人たちのスタイリッシュで孤高な雰囲気と本田恭章がリンクして、だからそういうかんじなのかなと個人的に思ったことが記憶に残っている──。
以下、時系列(81年、82年頃)はごちゃついてしまうが思いつくまま書いてみる。
グラビアではカジャ・グーグー、カルチャー・クラブのボーイ・ジョージ。
この人たちは姿が目に焼き付いた。
ルックスから入るのは子供ならでは(今もだろ)。
それから雑誌付録の歌本にも洋楽アーティストのページがあって、そこを見るのも楽しみだった。
曲を聴いたことがなくても、歌詞の概要を読んでどんなかんじなのかな〜とか。
あと、アルバム紹介のコーナーにも洋楽が少し。
わからないなりにジャケットをじっくり鑑賞したりミニレビューを読んでちょっと勉強した気になってみたり。
ダリル・ホール&ジョン・オーツ「H2O」、ジャーニー「エスケイプ」、ジューダス・プリースト「復讐の叫び」などなど。
あ、シングルではキム・カーンズの「ベティ・デイビスの瞳」も。
そのキム・カーンズ、タイトルの中の名前の響きが好きで。
ホール&オーツはジャケットのインパクト、ジャーニーとジューダス・プリーストはレビューがかっこよかった。
そんなふうにアーティスト、アルバム名、曲名がカタカナと邦題で心に残っていったのである。
が、もしもこのとき、思いきって気になるシングルやアルバムを一枚でも買ってみていたら……。
まあでも、だいたい「レコード(シングル)を買う」ということ自体、いわば一大イベントというか、まだ日本の歌手のレコードも1、2枚しか持っていなかった頃。
たしかシングル一枚700円、小学生だった私には高価なものである。
ましてや「LPレコード(アルバム)」なんてもうハードルが高すぎて......やはりその選択はなかったであろう。
ともあれ、私にとって貴重な情報源だった雑誌だが、これも私にとってはちょっと特別な買い物。
毎月購入出来ていたわけではなかったのだ。
そんな雑誌から洋楽記事のいくつかを拾い集めるように切り抜いて、大事に持っていたりノートに貼ったりしていた。
いつか詳しくなれたとき、答え合わせができることも願って。