洋楽への道の、まだ入口付近でウロウロしていたような時期のこと。
TVの歌番組でたまたま見ることができた「外国の歌手」はやはり私にとってキラキラと輝く存在で、興味の的であった。
その中で一番多く見たことがあるのはノーランズ。
結構、曲も覚えていた。
「ダンシング・シスター(I’m In The Mood For Dancing )」、「恋のハッピー・デート(Gotta Pull Myself Together )」、「セクシー・ミュージック(Sexy Music) 」。
3曲も知ってる私!みたいな(完全に井の中の蛙)。
*この曲が一番印象深い
The Nolans - Sexy Music (1981 Japan)
メンバー中、はっきり覚えているのはメインボーカルの人(バーニー・ノーラン)。
パワフルな歌唱がとにかくカッコよかった。
ちなみに前髪のスタイリングがちょっとその頃の研ナオコっぽい時も。
あとはアラベスクとトリックス。
どちらも女性3人のコーラスグループ。
アラベスクは漠然とノーランズの3人版みたいと感じた。
トリックスは三つ子の姉妹で、当時双子しか知らなかった私は三つ子ということだけでなんかすごい!とか思った。
しかし、両方とも曲の方は全く覚えていない(一回ぐらいしか見てないし......と言い訳)。
そうそう、おこぼれ(!)のような形でTVで見ることができたのがJAPAN(ジャパン。なんかややこしいがイギリスのバンド)。
「ザ・ベストテン」という歌番組で一風堂の「すみれSeptember Love 」という曲がランクインしたとき、海外からの中継先でボーカル、ギターの土屋昌巳と共に映っていたのがJAPANのメンバーだったのだ。
このとき土屋昌巳はJAPANのツアーに参加していた。
で、私はJAPANのことを雑誌(明星だったかな?)の本田恭章の記事経由でちょっとだけ知っていたから、その上で動く姿を見ることができて嬉しかった。
また、JAPAN と一緒にいる土屋昌巳ってよくわからないけどすごい、とも思ったのだった。
と、そんなふうにこういう人たちのことを手の届かない、自分とはかけ離れた遠い存在としてどこか憧れの眼差しで見ていたものだが、ひとりだけ例外がいる。
私が小3の頃。
TVのチャンネルを変えるとたしか「レッツゴーヤング」という歌番組で、田原俊彦と金髪の男の人が二人で歌っているところだった。
その歌は「哀愁でいと」。
パートを分け合うように(そして少し張り合うように)歌っていたのだが、田原俊彦はそのまま日本語、金髪の人は英語。
私は解せなかった。なぜ英語なんだと。
私の認識では、この曲は田原俊彦の持ち曲。
せめてサビの部分だけでも日本語で歌ってほしい気がしたのだ。
モヤモヤした気持ちを抑えることが出来ず、その感情をそばにいた父にぶつけた。
「この人ずっとニューヨークシティーとかって英語で歌ってる!“バイバイ哀愁でいと”のところ!!」
そんなこと訴えられて、父もふ〜んと言うしかなかったのだろう。
そういうわけで、なんだこの人的に私の記憶に残ることになった “金髪の男の人” 。
彼がレイフ・ギャレットという名前で「New York City Nights」は彼の持ち曲、そして「哀愁でいと」はそのカバーであるという真実を知ったのはかなり後になってからのことである。
*レイフ・ギャレット「New York City Nights 」
youtu.be
まさかあの人の方が本家だったとは!
──衝撃を受けたと同時に恥ずかしさが込み上げてきて、かつての自分を成敗したい気持ちでいっぱいになった。
そしておそらく私が初めてTVで見た「外国の歌手」は、このレイフ・ギャレットなのである。