洋楽クラシックロック雑記帳

懐古趣味の70年代、大体リアルタイムの80年代を中心に思いつくまま。ほぼ備忘録

10cc 〜おばちゃんのよしなしごと

気付けば10ccを尊ぶあまり、作業用として10ccを聴くというのが出来なくなっている私である。
聴いていたら集中してしまって作業をしていない。

どうしよう(知らん)。


ということでオリジナル10cc時代の各メンバーへの、私の勝手ないろいろを深い考察抜きに取り留めなく。


まずグレアム・グールドマン(Graham Gouldman)。

この人を見るとなぜか俳優の柴俊夫(若い頃の)が思い浮かんでしまう。

それはさておき、グレアムは最初期の10ccの中で一番おしゃれさんなイメージ。
なんというか、上品で真面目なお坊ちゃんなかんじの服装。
トラッド系ファッションというのかな?何と表現したらいいのやら。

そして歌声は優等生っぽい。
聴きやすくてこの声が嫌な人ってあまりいなさそう。
ちょっとエリックと似てる気がする(聴き間違えてたことあるし)。

あとはコーラスでの低音ボイス。
いわば10cc内におけるダークダックスのぞうさん的なポジション(ややこしいな)。
とにかく、このパートといえばグレアム!

メインの楽器はベース、かっこいいリッケンバッカーの似合うスラッとした人。
そのリッケンバッカーをピック弾きで特徴的な硬質の音でボトムを支え、且つ奏でられる行き届いたベースラインは実に快適であり魅力的、なのだ。


お次はロル・クレーム(Lol Creme)。

「ロル」という響きと英語のネットスラング「LOL」(笑という意味)と、まとめてこの人の雰囲気にあまりにぴったりで出来すぎだろう(!?)と思った、名前を知った瞬間。

それくらい、いつも楽しそうでまさに笑い転げているようなイメージがある。

ステージでの立ち位置はセンター。
小柄で、アイコンタクトしようとグレアム、エリックと見上げる様子が小動物っぽくてかわいい。
ギターを持つポジションが高く、上体がさりげなくクネクネしたりするちょっとクセのある動きをすることも。

とにかく私からすると「Donna」のあの裏声インパクトが強烈だったのだが、今ではそれすら愛らしいものに聴こえるのは私が歳をとったからというのもあるだろう。
この人のボーカルは中毒性があるというか、一度聴き入れてしまうとやみつきになるかもしれない。
私も最近、やみつきになりかけて危なかった(なにかマズいことでも?)。

あ、忘れてた。

髪サラサラ!


さてケヴィン・ゴドレイ(Kevin Godley)。

その風貌はどこか崇高、タダモノでない感。
なにか導いてくれそう(教祖様?)。

ドラムを叩きながらコーラスはもちろん、ソロパートのボーカルも余裕。
そんな安心安定の要のようなケヴィンだが、ずっと後ろにはいない。
メインで歌うときはスティックを置いて前へずいっと出てくるのだ。
それもあってかLIVEではサポートドラム(ポール・バージェス。のちに正式メンバー)の存在も。

とにかく4人の中で最も歌が上手い人。
歌声は正しく堂々と美しく(ギャップが)。
しかし、これだけの実力派が専任ボーカルでないというところにも10ccのマルチ集団ぶりが窺えるというもの。


最後はエリック・スチュワート(Eric Stewart)。

なんかすごく長くなりそう。
エリックのカテゴリーも作ってあるし、そこに書こうかな。

でもやっぱり書く。手短に(勝手にしろ)。

エリックは一見地味だが美形である。童顔で、あと足が長い。
そのかんじでリードギターを弾き(特にソロがまたカッコイイ!)、歌も歌い、エレピも弾く。
作詞作曲をし、エンジニアでもあり......と多才(10ccは皆多才だなー)。
にも関わらず、おっとり癒し系な雰囲気のある人。
クールな表情の時は色っぽく、でもロルが絡むとすぐにニコニコ(かわいい)というのも和む。

基本純朴な歌声ながら歌い方や声色はメインでも曲中のソロパートでも何気に変幻自在。
時代により、曲により、気分により(?)、いろいろに聴こえて「誰!?」と思ったりして油断ならないけどそれもまた楽しい。
甘くうっとりするようなエリック節というか、だんだんとそういう特徴が出現するようになっていった印象。

バラエティに富みまくった楽曲のギターを難なくこなすオールラウンダー。
エレピを弾きながら歌う姿も天使が寄り添うが如く光り輝いているのだが、私はどちらかというとギターを弾くエリックのカッコ良さを支持する者。

ボーカルとキーボードの人、とざっくり思い込んだまま長年それは凍結されていたが元来はギタリストであると知ったとき、意外すぎて、でもなぜか嬉しかった。

とにもかくにもレスポールと共にある姿はアイドルのようでありつつ骨太の実力派なのである。


最後に、オリジナル10cc。私はこの4人での雰囲気が大好きなのだ。

実際にはキャリアもそれぞれにあり強者揃いではあるのだけど、LIVEなど演奏風景ではバンドとしての瑞々しいオーラ、そしてもちろん曲、演奏レベルの高さは言わずもがなということなどまた別にして、まるで純粋にバンド活動を楽しんでいる若者たちみたいなものも感じられて実に爽快なのである。



*映像は74年。リードボーカル、ロル

10CC /Silly love /1973



リードボーカル、ケヴィン

www.youtube.com




リードボーカル、エリック

10cc- The Wall Street Shuffle (1974) - See You Sunday Version



リードボーカル、グレアム

Headline Hustler - Live 1974

憧れのSONY MUSIC TV

新聞TV欄に載っていたのは「MUSIC TV」という表記、正式な番組名は「SONY MUSIC TV」。
で、その枠に少し列記されたアーティスト、バンド名から洋楽の番組なのだとわかった。
毎週金曜夜11時30分から翌2時50分までという魅力的すぎる長時間。
こんなのを見つけてしまったら願いはひとつ。

見たい!

しかし、残念ながらそれを望んでもすぐに諦めなければならなかった。
その当時の私の就寝時間は夜の10時だったからだ。
これは親から言い渡された掟である故、破れない。
とはいえ......10時は早すぎる。中学生になったのに......
内心不満に思いながらも、仕方ない。

あーあ、いいな〜見れる人は。
夜の11時半からの世界ってどんなかんじなんだろう。
私はいつまでこうやってその時間のTV欄を眺めるだけの刑に服さなければならないんだ?
ただちょっと遅い時間帯にTVを見る、それだけのことじゃないか〜!!

だんだん腹が立ってきた私。
もう中1の3学期ぐらいになっていた。

(親に見つからないようにすればいい)

別に悪いことするわけじゃないし。
とにかく親が寝たのを見計らい、そーっと階段を降りる。
やっかいなことには、母は寝付きが悪いのかちょっとした物音ですぐ起き出す。
で、寝ろと怒られて作戦は失敗。

懲りずに別の日、なんとか階段をクリアしてTVをつけようとすると、絶妙のタイミングで母がトイレに起きてくる。
そしてまた怒られる、と。

もう出来過ぎなくらい、なんでこうなるんだという。
それでもめげずに挑戦しては見つかって連行され(!?)。

「見せて〜!MUSIC TV見せてよ〜〜っ!!」

......必死。

そんなことを繰り返すうちに要領を掴み、この作戦はちょっとずつ成功し出してきた。
部屋の電気は消したまま、TVの音量は最小。手は常にTVの電源スイッチに触れておく。
母が起きてくるのを察知すればすぐTVを消してどっかに隠れる(忍者かお前は)。

視聴時間も用心してさっと垣間見る程度で切り上げるのを心がけていたが、やはり見たい気満々なのでつい長く見てしまう。
夢中になって見ているといつのまにか母がそばにいた。

「電気ぐらいつけたら。ほどほどにして早く寝なさいよ」

てっきり怒られると思ったのに。
母はあきらめたのか、ついに態度が軟化し始めたのだ──。


そんなこんなで見始めた憧れのMUSIC TV。


*懐かしいCMも

SONY MUSIC TV OP~CM~ED




VJ不在の洋楽MVを流す番組。
ただ、真ん中ぐらいの時間帯に日本人アーティストのMVを流すコーナーも(後にこのコーナーはなくなる)。
LIVEをピックアップしたコーナーもあった。
あとはひたすらMVをそのまま。途中でカットもフェイドアウトもなく。
それが一番嬉しかった。
あ、特集するアーティストのMVをあるだけ全部(多分)流してくれる「PICK UP ARTIST 」というコーナーもあったな。

まるごと全部リクエストの曲だけで構成される「REQUEST SPECIAL 」の回があったり、「ONE- HIT WONDER(一発屋)」の回があったりなど、だんだんバラエティに富んでいったかんじ。

電話によるオンエアプログラムの自動音声案内(このサービスは途中から始まったと思う)を聞き、好きなアーティストのMVオンエア時間をことごとくメモ。
お気に入りのMVがたくさん予定されている時は金曜日の来るのが待ち遠しいものだった。

ちゃんと見始めた当初は一応何時までという母からの制限があったり、眠気に負けたりとなかなか最後まで辿り着けなかったが、初めて最後まで見てエンディング画面が出てきたとき、深夜なのも相まってちょっと怖かった記憶がある。
放送時間はその後短くなり、残念で寂しかったが、それでもやはり貴重な番組だった。

土曜日には当たり前に学校があって、でもMUSIC TVを見て夜更かししたからしんどいなんて、まさか!
逆にリフレッシュしていたのではと思うくらいである。

「スーパーステーション」と「ビルボードTOP40」のかすかな思い出

洋楽情報番組「POP ベティハウス」を知ることにより念願の洋楽ファンとしての人生がスタートした私。
中学に入ってからは他にもそういう番組がチラホラ見受けられるようになった。


土曜の午後、やっていたのが「スーパーステーション」。
司会は今野雄二という人で、上品かつ穏やかな進行が好もしかった。


*冒頭で番組のスタジオ風景が見られる

Cava Cava - Brother Bright



ここで見たミュージックビデオ(以下MV)で一番覚えているのはマドンナ「Burning Up」。




Madonna - Burning Up [Official Music Video]



要チェックの新人みたいなかんじで紹介され、「マドンナ、って」となんかちょっと引いた記憶がある。
私の中ではマドンナ=映画「男はつらいよ」で寅さんが憧れる女性という連想しかなく、それが名前というのにすごい違和感があったのだ。

MVはマドンナが夜の道路の真ん中で寝そべったりしながら歌っていたりするもので、なんか気の強そうな女の人だな〜とか思った。
この道路の場面しか印象に残っていないが、実際ここしか流れなかったような気がする。
紹介の時にある程度だけ流れて次、というか...... 。

あと、「スーパーロック84」というロックフェスが行われるのに因んでかどうか忘れたが、出演するバンドのMVが同じ日に流れたことがあったように思う。
TVで見たアーティストと曲名を記していたノートに、ホワイトスネイク「ギブ・ミー・モア・タイム」、マイケル・シェンカー・グループ「ロック・ウィル・ネバー・ダイ」と書いたことを覚えているから。

画面に出ているテロップを書き写すのだが、前述のようにある程度流れたら次のMVに切り替わったり、おまけにそのテロップもずっと出ているわけではない。
するっと覚えられそうなものだったらいいが、私にはほとんどのアーティストやバンド名が初耳な上、曲名も長いとなると大変。
ホワイトスネイクというバンド名、曲名はまだ大丈夫だった。
問題はMSG(ちょっともう省略する)である。

「えーっと、マイケルシェンカー、グ、グループ!?グループって。仲良しグループ、みたいなノリ?あ、曲名はロック、ウィル...... あれ、何ダイだったっけ?」

バンド名と曲名、どっちも長すぎ。そして「グループ」に食いつきすぎ!
ま、単に私の記憶の容量がものすごく小さかったこともあるが。

書き写しに全精力を使い果たし、MVのことはあまり記憶にないだなんて。

悲しい。


なぜこのような思い出になるのかというと、我が家にビデオデッキがなかったから。
ちなみに、学校の人たちのお宅にはビデオデッキがあるというのが大多数の雰囲気だった。

当然、私も親に直訴した。
しかし、これまた当然のように却下された。

結果、私が高1の時にその素晴らしいものがやってくるまで、記憶との戦いは粛々と続くのである。


話が逸れてしまった。

さて、他に見ていたのは「ビルボードTOP40」。
たしか日曜の夜7時か8時ごろの放送だったはず。
こういうのって各地域によって曜日や時間帯は違うと思う。

VJは中村真理という人。
スキのなさそうなクールな声なのに親しみある面白いVJぶり。

まず、「ビルボード」という響きがもうかっこいい。
アメリカのチャートというだけでそういう反応をしてしまう年頃。

40位から紹介してくれるので知識も増えるしボリュームも嬉しい。
といってもダーっとMVがどんどんみたいな(擬音ばっかり)。

こちらで印象に残っているのはジャック・ワグナー「All I Need 」。




"All I Need" - Jack Wagner



「ジェネラル・ホスピタル」という人気ドラマに出ている俳優というのが当時の情報。
毎週順位を上げていくもMVはなし、というのがMV全盛の時代の中、逆に粋だった。
アルバムジャケットの写真だけ出て、だから余計にそのときに流れる曲が心に残った。
ラジオでエアチェックしたとき、曲を全部聴けたことに加えいい曲だな〜ということですごく感動したことを覚えている。

このビルボードTOP40、今も放送中だそう。すごい!


以上の番組は、私が見ることが出来た時間帯でのもの。
洋楽関連番組がそれらだけならよかったが、あるときから私は毎週、心の中のメラメラと燃え立つものを抑えつつ新聞TV欄下方にある文字を睨みつけるようになっていた。
びっくりするぐらい放送時間の長い、「MUSIC TV」という文字を。

 Yes 「Owner Of A Lonely Heart」/「Our Song」 *1983年の思い出*

「Owner Of A Lonely Heart」(ロンリー・ハート)は、自分のために買った初めての洋楽シングルレコード。

まずミュージックビデオ(MV)の衝撃があった(気持ち悪いカットが結構ある)。
もっとも、当時は精一杯背伸びしたいお子さま故にそんなMVにも興味津々で、食い付くように見ていたのだけど。



*曲のみ

Yes - Owner of a Lonely Heart (HQ)



オープニングの少しくぐもった打音に気を取られた次の瞬間、ギラギラと鳴り渡るギターはどこか邪悪な響き。
続いて展開される音の配置はまさに精鋭、唐突に鳴る効果音(オーケストラヒット)も鮮烈──。


とにかく最先端な音楽と感じられた。
音楽に詳しくなくてもその時代の空気感みたいなものでなんとなくわかるというか。

MVのインパクトも手伝い、一発で私の脳裏にこびりついたこの曲。
印象的なリフ(サビも)が何日もずっと頭の中で再生して止まない。
そしてそれは私がシングルを買うときの決め手でもあった。

そうと決まればレコード店へ直行あるのみ!
お目当てのレコード一枚サッと引き抜きそのままレジへ(この頃は迷いがないな)。

帰宅後、おもむろにレコード店の黒い袋からシングルレコードを取り出し、ジャケットのシンプルなデザインから惹句、その他印刷されてある全部の文字をも含め、それこそ穴が開くほどワクワクと鑑賞。
好きな洋楽の曲を手に入れたという嬉しさに浸り、もったいぶってなかなか曲をかけようとしない自分。

続いて裏面の解説へ(あの〜早く聴いたら?)。

ていねいに文章を追ってみるが、まるでちんぷんかんぷん。
なんのことだかさっぱりわからなかった。
当たり前である。
昨日今日洋楽の世界にやってきた私のような者にわかるはずがない、イエスの歴史。

たとえば、クリス・スクワイアはイエス一筋でやってきた、ということが書かれていたが、その「クリス・スクワイア」が誰だかわからないのだから。
ただ、ものすごく昔からあるバンドなんだという事実と、クリス・スクワイアという人はずっとイエスを辞めずにきた*1頑張り屋さんということだけ辛うじて理解したようなわけで。

己の低いレベルを顧みず解説を読んだバチが当たり(?)、頭が痛くなったところでようやくレコードをターンテーブルに乗せるのであった。


この曲の中で一番好きなところは、ギターソロのあと。

狂気を帯びたギターソロの高揚が止み、間髪入れず哀愁漂うアルペジオへ。
ここが唯一、安らげる。でも膝は抱えてるけど、みたいな。

そしてベースのつなぎからドラムが入ってくる流れ、寂寥感がなんともいえずハードボイルド風。
もはやかっこよさに黙って聴き入るのみである。

で、このあとのサビにてフェイドアウト、と思われた。
が、そこからまた再びの大サビ(で合ってるのかな?)が襲う!
これだけでもドラマティックなのにプラス、転調でさらに盛り上げる!
盛り上げたまま、やっと(!?)フェイドアウトという実に手の込んだ一品というかんじ。

いやはや、ほんといい曲だな〜。
買った自分を褒めてやりたい。


大満足の私はレコードをA面からB面へと裏返す。
曲名は「Our Song」(アワ・ソング)、「アワってなんだろう」と思いつつ。



youtu.be



神聖なる者が天からやってくるみたいなイントロ。
まるで躍るように弾き出される旋律(特にベース!)、リズムが心地よい。
これまた天界から遊びに来ました的独特の高い歌声は、「Owner Of A Lonely Heart」よりこちらの方がすごく合っている気がする。

サビはボーカル含め全部の楽器が煌めいて、そんな中でのベースの役割を聴くのが好き。
そしてエンディングに向かって高鳴る流れは明るい希望しか見えないような軽やかさ。
スッキリとした余韻が残る、実に清々しい一曲。

もちろん、この曲をすぐ大好きになった。
最初から最後まで、聴いていて嬉しくなるほどに。


A面とB面、一枚で二度おいしい。
そんなシングルレコードのひとつである。

*1:途中、解散状態の空白期間は挟んでいる

洋楽への道(5)POPベティハウス

TVのチャンネルをコロコロ変えていたら、ある映像が目に飛び込んできた。

……外国の歌手のTV……?


これまで、数年かけて超スローペースに歩いてきた洋楽への道。
最初もわもわと厚い綿のようにたちこめていた霧が少しずつはがれていき、薄いベールのようになっていたのが突然ぱっとどこかへ飛んでいったような。
とにもかくにも目の前には確実な洋楽。

ラジオを開拓しなければ出会えないと思っていたのに、そうやってTVの中で会えたのだ。
ホッとするような嬉しさもあった。
そしてもちろんここがゴールではない。
ま、といってもこの先はルンルン気分(死語好き)で見たり聴いたりするだけなのだが!


そういうわけで、そのTV番組を見るようになった。
以下、記憶を頼りに書いてみる。

番組名は「POPベティハウス」。

平日の夕方(連日)に洋楽のミュージックビデオ※以下MV(当時はプロモーションビデオ、ビデオクリップなどと呼ばれていた)を流す関西ローカルの音楽情報番組で、私が見始めた頃(1983年秋)は15分番組だった(のち30分番組に)。
放送時間帯はというと、初期は16時台。
その後17時になったり18時30分になったり。

オープニング映像(家の中に次々いろんな人が入っていくアニメーション)は私が知る限り最後まで変わらず。
オープニング曲は途中で1回だけ変わっている(最初の方はシンプルなかんじ、その後の方はちょっと騒がしい系)。

VJはギリシャ人女性で名前は「クッキー」。
え、「ベティ」じゃなくて?と、疑問に思ったりした。
じゃあなんで「ベティハウス」なんだ?とか。
「ベティ」って誰だ?とか(しつこい)。

当初は表情もやや硬く緊張の面持ちだったクッキー。
でもそれは段々と解消していき、はつらつとしたVJぶりが特徴だった。

クッキーによる曲、アーティスト紹介は英語。
テロップは曲名もバンド名もカタカナ表記。
邦題ありの曲はそのまま邦題が出ていた。

また、はじめの方はたしか英語オンリーだったトークも年月を経るにつれ日本語も達者に。
ちなみにクッキーがお休みの時は代わりのVJ(セシリアという人しか覚えてないけど)が務めていた。

さて内容。
オープニングとエンディングに流すMVは途中で切られ、真ん中(1、2曲ぐらいだったかな?)の曲は全部流れる。
この、途中までというのがいつもすごく残念だった。
15分の枠の中では苦肉の策だったのであろうが……そりゃあ最後まで視聴したい。(この問題は30分枠になってから解消された)。

いつも番組の最後に言うクッキーの定番フレーズ「バイナウ(Bye now)」。
「グッバイ」とか「バイバイ」しか知らなかった私の耳には非常に新鮮な響きだった。
少なくともこの番組でしか聞かない言い方で、クッキーの造語?(違いますが)と勘ぐったことも。

番組は89年春まで続いていたと思う。
後番組は「BTT(Big Time Television)」という30分の洋楽情報番組(こちらも引き続き見てた)。


と、いうことで小6から高2までほぼ欠かさず見ていた「POPベティハウス」。
ここで見たMVの曲名とアーティスト名を忘れないためのノートを作り、少しずつ洋楽を知っていった。
途中、こじらせていた反抗期には「ベティハウスは軟弱な曲ばかり」とエラそうにほざいていたときもあったが(恥ずかしい時代)、なんだかんだでやっぱり見ていたのだ。

CMでビリー・ジョエルの曲に心惹かれたその日から夢にまで見ていた世界を教えてくれた案内人、POPベティハウス。
夕方という時間帯での放送は子供だった私にとって強い味方であったことも忘れてはなるまい。

ありがとう、ベティハウス!


......つけてたノート、処分しなきゃよかった(泣)。

洋楽への道(4)「ビートルズって何?」

かねてより母の思い出話の中にちょっとだけ出てきていた「ビートルズ」。

どんなふうだったのか改めて母に尋ねてみると、どうやら母自身は詳しくないようだった。
ビートルズを好きな同級生に教えてもらったりして聴いていた程度のようで。
その中で母は「涙の乗車券」という曲が好きだったと言っていた。

そうなのか〜ということで、デパートの中にあったレコード店のそばを通る際、つい寄って枚数の充実したビートルズのシングルを次々垂直に引き出しては曲名、ジャケット写真など眺めるようになった。
もっとも、曲は違うけどジャケットが同じみたいなのがたくさんあってそれがよくわからなかったのだけど*1

そして「涙の乗車券(原題:Ticket To Ride)」のシングルレコードを母へプレゼントするつもりで購入した。
それが、私が初めて買った洋楽のレコードである。




The Beatles - Ticket To Ride



母は当初こそ懐かしいと喜んでいたがそのうち聴かなくなり、結局私の方が聴くようになっていた。
イントロの甘酸っぱいトーンやドラムのリズム、アウトロでのファルセット入りフレーズが印象深かったことを覚えている。

このレコードのB面は「イエス・イット・イズ(Yes It Is )」。



youtu.be



こちらの感想は「地味で退屈」(なんかすいません)。
が、不思議なもので気だるさに魅入られたかの如く徐々にこの曲の方を好きになっていった。

しかし、母の時代の曲ということで歴史上のものに接している感覚が強かったのも事実。
当たり前のことだが、どうしても全体の音に古さを感じてしまうのだった。


そんな日々の中、いつのまにやら夕方ごろのローカルTVで流れていたのがなんとビートルズのアニメ*2

ビートルズをもっと知るチャンス......というよりも面白いアニメとしてただ楽しく見ていた。
アニメの設定上では愛されキャラのボケ役、リンゴが可愛くて好きだった。
なにより「リンゴ」という名前自体がすでにかわいい。
ちなみに私はこのアニメでメンバー4人の名前(ファーストネームだけ)を覚えたのだった。

曲も毎回いろいろ流れたが、はっきり覚えているのは「ハード・デイズ・ナイト(A Hard Day’s Night )」ぐらい。
それではアニメの方はというと、ガン見していたわりに上記の記憶以上の記憶はない(あーあ)。

また、そのあとぐらいの時期だったかTVでビートルズの特集のような番組をやっていて、これもたまたま見た。

そこで最も印象に残ったのはアニメと同じくリンゴ、ではなくジョンだった。
そして曲もたくさん流れ、今度はかなりの吸収力で頭に吸い込むことに成功した。
特に「ペニー・レイン(Penny Lane)」のかわいい曲調がいいなーとか。
「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ(Lucy In The Sky With Diamonds)」のタイトルの長さにもかっこよさを感じたり。

そういうたわいない受け取り方しか出来ない私ではあったが、それでもなんとなくビートルズってすごい存在なんだなということだけはわかった気がしたのだった。


ただ──私からするとやはりビートルズは「歴史」であり、「今」ではなかった。

のちに懐古趣味に走ることになるなんて思いもつかない年頃(11歳〜12歳頃)であり、渇望するのは現在進行形の洋楽だったのだ。

*1:結成15周年記念シングルシリーズだったみたい

*2:アメリカのアニメ「The Beatles」の日本語版。タイトルは「アニメ・ザ・ビートルズ

洋楽への道(3)ラジオと雑誌の話

小4ぐらいの時のこと。

外国の歌はどうやって聴くのか、とりあえず母に尋ねてみた。

その答えは「ラジオ」──。


当時の我が家のオーディオはセットコンポ(レコード、カセットテープのプレイヤー、ラジオチューナー)。
母はそれでラジオを聴いていたのだが、私からしたらその装置の中でラジオをというのは最も馴染みのないものだった。

私の中では母の聴いているものイコールラジオ。
それは大半がおしゃべりでその合い間に大人の歌謡曲がかかり、悠久の昔から流れ続けているかのようなCMの入る......。

そう、母ががっちり固定して聴いていたのはAMラジオだったのだ。
そして私はというともうそれしかないと思っているわけで、他にも選択肢がある(FMラジオ)なんて夢にも思わず。

ちなみに母は、外国の歌といえば学生時代にビートルズが流行っていたと懐かしんでいたが、そのときついでにFMの存在も教えてくれたらよかったのに。

とにもかくにも、母に教えられたようにチューナーをウィーンと回す。
ここで外国の歌がかかるような気がしない、と薄々絶望しながら。


結果、早々に袋小路である。
そこで私は気持ちを切り替えた。

外国の歌はひとまず置いて、先に日本の方を詳しくなろう、と。
年齢相応にアイドルにも興味があったのだ。
といっても、それは雑誌(明星や平凡)を買うというだけのことだったのだけど。

さて、楽しく読み進めていると、なんと海外アーティストの情報ページなるものが!
内容はまるでわからないまでも、こういうのも載っているんだ、と俄然ワクワクしたのは言うまでもない。

そしてアイドルの記事の中にも、ちらほらと洋楽のことに言及されているものがあった。
今、よく聴いているのは○○(洋楽アーティスト名)、というように。

そういった中に本田恭章という人がいた。
私は本田恭章のことを、アイドル枠に入れられているけど明らかに全身で「違うから」と主張している人というふうに見ていた。
そして前回の洋楽への道(2)でも少し触れたが、この人の記事で私はJAPANというバンドの存在を知ったのだった。
JAPANの人たちのスタイリッシュで孤高な雰囲気と本田恭章がリンクして、だからそういうかんじなのかなと個人的に思ったことが記憶に残っている──。


以下、時系列(81年、82年頃)はごちゃついてしまうが思いつくまま書いてみる。

グラビアではカジャ・グーグーカルチャー・クラブボーイ・ジョージ
この人たちは姿が目に焼き付いた。
ルックスから入るのは子供ならでは(今もだろ)。

それから雑誌付録の歌本にも洋楽アーティストのページがあって、そこを見るのも楽しみだった。
曲を聴いたことがなくても、歌詞の概要を読んでどんなかんじなのかな〜とか。

あと、アルバム紹介のコーナーにも洋楽が少し。
わからないなりにジャケットをじっくり鑑賞したりミニレビューを読んでちょっと勉強した気になってみたり。

ダリル・ホール&ジョン・オーツ「H2O」、ジャーニー「エスケイプ」、ジューダス・プリースト「復讐の叫び」などなど。
あ、シングルではキム・カーンズの「ベティ・デイビスの瞳」も。

そのキム・カーンズ、タイトルの中の名前の響きが好きで。
ホール&オーツはジャケットのインパクト、ジャーニーとジューダス・プリーストはレビューがかっこよかった。
そんなふうにアーティスト、アルバム名、曲名がカタカナと邦題で心に残っていったのである。


が、もしもこのとき、思いきって気になるシングルやアルバムを一枚でも買ってみていたら……。

まあでも、だいたい「レコード(シングル)を買う」ということ自体、いわば一大イベントというか、まだ日本の歌手のレコードも1、2枚しか持っていなかった頃。
たしかシングル一枚700円、小学生だった私には高価なものである。
ましてや「LPレコード(アルバム)」なんてもうハードルが高すぎて......やはりその選択はなかったであろう。


ともあれ、私にとって貴重な情報源だった雑誌だが、これも私にとってはちょっと特別な買い物。
毎月購入出来ていたわけではなかったのだ。

そんな雑誌から洋楽記事のいくつかを拾い集めるように切り抜いて、大事に持っていたりノートに貼ったりしていた。
いつか詳しくなれたとき、答え合わせができることも願って。

洋楽への道(2)TVで見た外国の歌手

洋楽への道の、まだ入口付近でウロウロしていたような時期のこと。

TVの歌番組でたまたま見ることができた「外国の歌手」はやはり私にとってキラキラと輝く存在で、興味の的であった。
その中で一番多く見たことがあるのはノーランズ
結構、曲も覚えていた。

「ダンシング・シスター(I’m In The Mood For Dancing )」、「恋のハッピー・デート(Gotta Pull Myself Together )」、「セクシー・ミュージック(Sexy Music) 」。

3曲も知ってる私!みたいな(完全に井の中の蛙)。




*この曲が一番印象深い

The Nolans - Sexy Music (1981 Japan)



メンバー中、はっきり覚えているのはメインボーカルの人(バーニー・ノーラン)。
パワフルな歌唱がとにかくカッコよかった。
ちなみに前髪のスタイリングがちょっとその頃の研ナオコっぽい時も。

あとはアラベスクとトリックス。
どちらも女性3人のコーラスグループ。

アラベスクは漠然とノーランズの3人版みたいと感じた。
トリックスは三つ子の姉妹で、当時双子しか知らなかった私は三つ子ということだけでなんかすごい!とか思った。
しかし、両方とも曲の方は全く覚えていない(一回ぐらいしか見てないし......と言い訳)。

そうそう、おこぼれ(!)のような形でTVで見ることができたのがJAPAN(ジャパン。なんかややこしいがイギリスのバンド)。

ザ・ベストテン」という歌番組で一風堂の「すみれSeptember Love 」という曲がランクインしたとき、海外からの中継先でボーカル、ギターの土屋昌巳と共に映っていたのがJAPANのメンバーだったのだ。
このとき土屋昌巳はJAPANのツアーに参加していた。

で、私はJAPANのことを雑誌(明星だったかな?)の本田恭章の記事経由でちょっとだけ知っていたから、その上で動く姿を見ることができて嬉しかった。
また、JAPAN と一緒にいる土屋昌巳ってよくわからないけどすごい、とも思ったのだった。

と、そんなふうにこういう人たちのことを手の届かない、自分とはかけ離れた遠い存在としてどこか憧れの眼差しで見ていたものだが、ひとりだけ例外がいる。

私が小3の頃。

TVのチャンネルを変えるとたしか「レッツゴーヤング」という歌番組で、田原俊彦と金髪の男の人が二人で歌っているところだった。
その歌は「哀愁でいと」。
パートを分け合うように(そして少し張り合うように)歌っていたのだが、田原俊彦はそのまま日本語、金髪の人は英語。

私は解せなかった。なぜ英語なんだと。

私の認識では、この曲は田原俊彦の持ち曲。
せめてサビの部分だけでも日本語で歌ってほしい気がしたのだ。

モヤモヤした気持ちを抑えることが出来ず、その感情をそばにいた父にぶつけた。


「この人ずっとニューヨークシティーとかって英語で歌ってる!“バイバイ哀愁でいと”のところ!!」


そんなこと訴えられて、父もふ〜んと言うしかなかったのだろう。

そういうわけで、なんだこの人的に私の記憶に残ることになった “金髪の男の人” 。
彼がレイフ・ギャレットという名前で「New York City Nights」は彼の持ち曲、そして「哀愁でいと」はそのカバーであるという真実を知ったのはかなり後になってからのことである。



*レイフ・ギャレット「New York City Nights 」
youtu.be



まさかあの人の方が本家だったとは!


──衝撃を受けたと同時に恥ずかしさが込み上げてきて、かつての自分を成敗したい気持ちでいっぱいになった。

そしておそらく私が初めてTVで見た「外国の歌手」は、このレイフ・ギャレットなのである。

洋楽への道(1)CMイメージソング

私にとっての初めての「外国の歌」は、CMのイメージソングだった。



*曲はビリー・ジョエル「Honesty 」

ネッスル チョコホットCM


当時私は小2で、この歌めちゃくちゃいいな!とすぐ好きになった。
このときはココア(ホットチョコレート?)のコマーシャルの歌、という認識。
CMに出演している男性、ビリー・ジョエルという名前、そして曲が私の中でずっとセットになっていた。
で、記憶ではCMの男性は金髪で哀愁漂う大人というイメージだったのが、今見てみると金髪ではないしどちらかというとかわいい少年というかんじでびっくり。
まあ、子供のときの目と今のおばちゃんの目では感想も変わって当然。
しかし、私の記憶もあてにならんね(それを言ってはおしまいなんだが)。

そして、こんなにきれいな声をしているビリー・ジョエルってどんな人なのだろう?と。
私の勝手なビリー像は「金髪の貴公子」で、外国人イコールそういう系統、という幼い発想だったのかも。

ということで、とにかくCMが流れるとその十数秒間を噛み締めるようにして聴いた。
もっと長く聴きたい気持ちはあれど、どうやってその方法を知るのかもわからず......。
ともあれ、そうしてCMのイメージソングで少しだけ洋楽というものを知ったのだった。

それから私はCMで流れる洋楽を意識するようになる。
以下、頭の中でグルグルと何回も再生されるほどお気に入りだったCMソングを挙げてみたいと思う。



*曲はシェリル・ラッド「Where Is Someone To Love Me」
youtu.be

歌メロと、そこに乗る英語のリズムがなんともいえない華やかさで、憧れのように聴いていた。




*CM2曲目、シェリル・ラッド「Take A Chance 」

1981 サントリー V.S.O.P & V.S.O Deluxe

シェリルはCMのイメージキャラクターであり、シリーズ化もされていたのでその間はCMソングを聴ける機会も多く、嬉しかった。




*曲はキム・ワイルド「Bitter Is Better」

KIM WILDE 1982 in TV-Comercial!

出演しているのもキム。
この人のちょっと怖そうなかっこよさと曲のクールなかんじが印象的。
そういえばずっと曲名を「ベター イズ ベター」だと思ってたな〜(どんな耳してんだ)。
途中、飲み物を注ぐ音だけになる部分を一番覚えていて、そこも含めて好きだった。


あと、TOTOの「Rosanna」もCMで知った。
それは小5ぐらいのときで、何のCMだったか覚えていないがその短い時間の中でさえ炸裂する曲のグルーヴ感。
なぜだかアメリカ!っていう気がすごくした。

で、CMで流れていた歌詞の部分がタイトルだろうと当て込み、いつかこの曲を探すときの手がかりになるはずと耳コピして忘れないようにしていた歌詞は「ニッチューオールウェー」。
このカタカナ英語はいつのまにやら「日中オールウェー」という、一見意味不明なものに変換された。
曲のかんじに昼下りなイメージが常に浮かんでいたので、そこからのつながり?(どうでもいいわ)。

ちなみにこの耳コピは安定の(!)聴き間違いで正解は「Meet you all the way」。
そしてその部分はタイトルではなかった。
ただ、今思うとCM終わり間際にちょっと「Rosanna」って聴こえてた……かも!?
でもまあ、そうだったにしてもそこには全然気がいっていないのだが。

そんなわけで、タイトルに関しての見当はずれな思い込みが、後年この曲を見つけることを難しくした。

いくら探してもない…… “ニッチューオールウェー”的なタイトル(そりゃないわな)。

結局どうやって見つけたのか忘れてしまったが、本当のタイトルを知ったときは妙にショックで、絶対ニッチューの方をタイトルにした方がいいのに、とものすごく勝手なことを思ったのだけは覚えている。




Toto - Rosanna (Official Music Video)



そんなこんなで私は洋楽への道に一歩、足を踏み入れた。
それはちょっとした迷路のようで、ガイドもなく地図もなく、ただ未知なるものへの好奇心のみでゆっくり進んでいったのである。

私と10cc (5) 長い空白とyoutube -Part2-

さてさて、どう検索しよう?
......と、急に昔録画していた「I’m Not In Love」が頭に浮かんだ。
久しぶりに見てみたくなり、関係ないけどそれから検索。

あった!
当たり前にめちゃくちゃ懐かしい。
が、それだけではなかった。
これまでの長い無関心がウソのように、再びこの曲が心に刺さったのだ。
自分でも意外だったが、周期を経て元の場所に戻ってきたとでもいうか、そんな感覚。
なんかしみじみ......


おっと、違う違う!
かわいいエリックを探さなければ。
とにかく手当たり次第に動画を当たる。

う〜ん、なかなか出てこないなー。
しかし、こんなニコニコしてる人だったんだ。

私のエリックへのイメージは早くも変わっていく。
クールで色っぽい、だけじゃない。
美形ぶりにも驚愕してしまった。

あと、エリックがギタリストだったとは!
ずっとボーカル、キーボード専任の人だと思ってた。
なにか、頭をどつかれたかのような(なんだその表現)衝撃。

他のメンバーのことも同様で(「I’m Not In Love」は変則パートでの演奏)、初めてそれぞれの本来のパート(皆マルチプレイヤーだからややこしい)での演奏を見たのだった。

考えてみれば私は10ccについてほとんど知らない。
それは私が知ろうとしなかったから。
バンド名の由来(1回分の精子×4人=10cc)に引いてしまい、そこで終わった。
だが今回、いろいろ見ていく中で真実を知ることになる。
なんとこの由来、ガセだったのだ。

本当の由来は、ジョナサン・キング*1の見た夢(ウェンブリー・スタジアムにかかる大きな看板に「世界で最も偉大なバンド10cc」と書かれていたという)から。

そうだったんだ!!(嬉)

どこかずっと引きずっていたドン引き感情が一瞬で吹き飛んだのは言うまでもない。
そうなるともう、なにかストッパーが外れたようになり、今になって10ccを知りたい欲求が静かに溢れ出してきた。
まずはエリック以外のメンバーのフルネームをきちんと知ることから(!)。
大まかな流れを駆け足で──なんというか、ちょっとした歴史の勉強みたいに──まあ、付け焼き刃ではあるけども。

しかし、つくづく便利な世の中になったものである。
ネットの情報を全て鵜呑みにするわけではないが、ともあれ知ろうとすればあっというまにある程度のものを知ることができるのだから。


......ん?
いやいや、また寄り道してしまった。
こんな調子ではいつまでたっても終わらない。
ペースを上げて再び動画のサムネイルをチェックしていく。
するとついに、えっ?誰!?と目を疑うほど(こんなことばっかり言ってるなオイ)童顔でかわいい人が出てきた!



*当然ながらLIVE本編も素晴らしい

10cc live at Hammersmith Odeon on 6 18 77


10ccの音楽性と同じく、振り幅がハンパないというか変幻自在というか(もう何が何だか)。
この度の捜索の中で、顔の角度や髪型などによってはかなり印象の変わる人だなあとは思っていたが、もはやそんな次元を軽く超えてきてのとどめである。
しかも容姿だけに限らず、なんかいろいろとかわいい。
そしてもちろん、絶対的に納得したのであった。
それにつけても疑り深いおばちゃんである(すいません)。


まあそんなこんなで、私なりの10cc愛もちゃっかり甦った模様 。
改めて曲の素晴らしさを感じ、バンド名由来の真実を知って呪縛が解け、さまざまなエリックのアーカイブでテンションが上がり……。 

エリックに関しては、かつてあんまり心に響かない写真しか見てなくて勝手にトーンダウンした前科持ちだが、今後はエリックそして10cc(ついでみたいに言うな)信奉者のはしくれとして悔い改め、これまでの長い空白を埋めていく所存である。  

というわけで、今後も度々登場してくるであろう10ccのこと、なのである。




✪おまけ✪


*バンド名由来についての言及もあり

Eric Stewart Interview 07/03/1981

*1:エリックの友人で、10ccがかつて所属したレーベル「UKレコード」の設立者及びプロデューサー